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『大絶滅恐竜タイムウォーズ』 草野原々 著 (早川書房)

毎月更新 / BLACK HOLE:新作小説レビュー 2019年12月

 1832年、ダーウィンは得体の知れない老婆からある「お話」を聞かされる。それは、小田原市在住の女子高生たちが人類の進化を守るため、6600万年前の白亜紀末期へとタイムトラベルして、知性化鳥類と戦争するというものだった。

 草野原々とは異常な作家である。

 まず描く世界の絵面が異常である。彼は怪奇生物が大好きだ。遺伝子改変、異常進化の産物たるグロテスクな生物が、他人事のような文体で謎の躍動感を持って描かれる。しかも作者の魔手はイマドキの美少女キャラも襲う。肥大化、増殖、変形した異形の少女達(しかも彼女らは白々しいまでに記号的)の姿に、彼の底抜けの悪意と悪趣味が盛り込まれている。

 次に話の規模が異常である。空間的拡大は勿論、時間跳躍さえ当たり前。更には物語の暴走が生物発生、宇宙開闢の起源までをも明らかにし、最終的にメタ展開した地の文が読者に働きかけ現実世界をも侵犯することさえ多々ある。

 そしてハードSFとしての正統性が異常である。上記のような独創的過ぎる奇天烈な世界観と展開を、単なる奇書・実験小説以上の物に昇華しているのはゴリゴリのハードSFパートである。読者を轢き殺して暴走する物語が、ふと正気に返ったかのように真っ当な科学理論を語り出す。だが真っ当な理論で筋を通され補強されてしまったからこそ、物語は一層傍若無人に爆走する。

 本作はそんな異常な草野原々による『大進化どうぶつデスゲーム』の続編であり、現時点での彼の集大成である。告白しよう。『どうデス』は正直、彼の作品にしてはかなりまともな物語だった。百万年単位という規模の巨大さはあるものの、それは決して宇宙の成り立ちを説明せず、登場する少女達も(多少は悲惨な目に遭うものの)殆どが肉体的にも精神的にも無傷のハッピーエンドを迎える。彼女らの百合的関係性も良好に進展し、「草野原々も人の子か」と寂しい安堵感を得たものだった。

 あまりにも甘過ぎた。

 前作を生き延び、関係性を進展させた少女達は、物語開幕直後から悲惨な目に遭い、そしてゴミのように死んでいく。ドラマチックさもクソも無い。必要だからと資源のように死に、不必要でも藁のように死ぬ。地の文にまで「彼女の名前は忘れてしまってかまいません」などと言われるのだから救いようがない。更に少女達は改造される。鼻から伸びた神経接続器官で恐竜の脳をハッキングさせられ、何千億人に増殖した挙句人間反物質爆弾となって自爆させられる。そう、前作で培養された関係性は、否、比較的正常な前作そのものが、極めて異常な本作を召喚するため捧げられた生贄なのだ。

 前作の積み重ねを全力で火にくべつつ、そのエネルギーをフル活用して物語は果てしなく暴走する。主人公達に実存的危機が訪れ、恐竜宇宙戦艦は空を飛び、中生代切断計画が発動され、白亜紀が三畳紀にぶつかり、ダーウィンは大剣と化し、アノマロタンクはモササウルスと戦い、一種目のみの東京五輪が開催されて崩壊し、ウミサソリとウミユリが地上の支配者となり、読者への挑戦状が出現する。無茶苦茶だが比喩でも何でもなく実際に作中で起きた事なので仕方がない。

 無論、厳ついハードSFパートも隙あらばぶち込んでくるが、科学に留まらない哲学、美学的問いも喚起される。それらの問いは物語の根幹を成し、しれっとメタ展開した物語は読者を飲み込んで世界そのものの成り立ちと終焉までも説明する。

 まさに草野原々全開。「至高のSFであることに殉じた」の評に偽り無し。暴力的に「小説」の定義を拡張してくる本作は、小説である以前にある種の神秘体験である。

 彼は作家である以前に草野原々なのだから。

文責:グーテン=モルガン

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