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京極夏彦〈百鬼夜行シリーズ〉全レビュー|第4回:『鉄鼠の檻』

2023年9月、京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉最新作『鵼の碑』が、17年の時を経てついに刊行された。第1作『姑獲鳥の夏』刊行からおよそ30年、若い読者には、当時まだ生まれてすらいなかった者も多い。東大総合文芸サークル・新月お茶の会のメンバーが、いま改めて〈百鬼夜行シリーズ〉と出会う連載企画。毎週火曜更新予定。

 拙僧が殺めたのだ───。
 雪深い箱根の山中にひっそりと佇む謎の寺院、明慧寺。
 俗世から隔離されたこの寺院で、次々と殺されていく仏弟子たち。
 埋没した経蔵と、雪の山中を駆ける赤い振袖の童女の謎。
 箱根に起こるこれら数々の怪奇の正体とは。
 外界と断絶した寺院を舞台に、京極堂が謎に挑む百鬼夜行シリーズ第4弾。

 「レンガ本」や「鈍器」などと称されるように、京極夏彦の小説はとにかく分厚い。そして重い。筋トレに使えるという話も強ち間違いではない。合計1341ページに渡って繰り広げられる物語は、もはや活字の暴力である。
 しかし一度読み始めたら、ページを捲る手が止まらない。
 そして、読み進めていくほどに話は面白さを増していく。京極堂の蘊蓄は味わい深く、ミステリを楽しみながら"禅"についての理解も深まる。博識に裏付けられた物語の圧倒的な情報量。これこそが、百鬼夜行シリーズの醍醐味である。本書を読み終えた読者にはきっと、大量の蘊蓄と確かな筋力が備わっていることだろう。

 さて本書は宗教、特に禅と悟りをテーマとしたミステリ小説である。
 箱根の奥深い山中。法衣の黒と、雪景色の白。さながら水墨画のような白と黒の世界において、唯一色を持つ赤い振袖の少女の存在が、情景の美しさを更に際立たせる。
 しかし、本書の本当の美しさの所以は、その物語の構造にある。
 冒頭。拙僧が殺めたのだ、という僧侶の告白。そこに続く一連の問答。
 禅の言葉で語られた殺人の動機は、到底我々読者に理解できるものではない。
 つまり本作は、本質的にホワイダニットのミステリなのだ。
 拙僧が殺めたのだ。では、なぜ殺さなくてはならなかったのか。

 その答えは本書を読み進める中で徐々に明らかになっていく。
 しかし、同時にそれは、本来語りえぬものでもある。
 鉄鼠てっそと十牛図。
 人と仏。
 公案と回答。
 魔境と悟り。
 〈内部〉と〈外部〉。
 そして、檻。

 そこに檻があるからには、閉じ込めるべき何かが存在する。
 閉じ込めなければならない理由がある。
 檻は概して〈内部〉と〈外部〉を分ける機能を持つ。
 しかし、我々の"脳"という器官はその檻の中に外側すらも内包してしまう。
 檻の中の檻の中の檻の中の檻。
 繰り返される多重構造から、〈外部〉へ脱出すること。
 これがある意味で本書の重要なテーマとなっていることは疑いない。

 話を読み進める中で、禅の全体像を把握できるところも素晴らしい。
 禅宗の教義である"不立文字"にあるように、"悟り"は文字や言葉では表せない。言葉にしようとした時点で、それはもう本来の意義を失ってしまう。
つまり禅宗とは、言葉を否定する宗教だといえる。
 しかし京極夏彦は、それを理解しながらも物語という言葉を用いた媒体で、禅、そして悟りを描こうとした。この一種の自己言及的な構造の美しさこそ、この作品を傑作たらしめるものだろうと、私は考える。

 張り巡らされた物語の伏線は終盤の一点に収束する。
 京極堂による"憑き物落とし"の結末はいかに。
 そして、我々を閉じ込める<檻>とは一体何なのか。
 『鉄鼠の檻』。京極夏彦の禅宗に対する圧倒的な知識量に裏付けられた、百鬼夜行シリーズ随一の傑作である。

(マキムラ)


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