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第75話・石ころを拾うと、未来が見える。

「私は、石を愛する。」

山中や自然豊かな環境にある神社や神域に足を踏み入れると、度々目にする光景が積石だ。

それらを目にすると思い出すのが、冒頭の言葉である。
これは、世界中で愛された作品を描いた、芸術家の言葉だった。

今日はそのことを起点にして、noteを執筆していこう。


石ころを拾うと、未来が見える。


私が小さい頃は、よくテレビでも放映されていた。
夏休みには特に目にする機会が多かったのを記憶している。

「私は、石を愛する。」

この言葉から連想される芸術家とは、ムーミンを世に送り出した「トーベ・マリカ・ヤンソン」だ。

トーベ・マリカ・ヤンソンの作品には、岩礁の島が舞台となる作品が多く手がけられている。それは描く石に「意志」がもたらされているかのように。


【ムーミンの生みの親の歴史】石ころを拾うと、未来が見える。Part1


ヤンソンは、フィンランド人の芸術家である。

驚くべきことに、画家・作家として70年以上も活動して一生涯を終える。

その最初のデビュは、14歳。

雑誌のイラスト掲載で産声をあげたヤンソンは、翌年の児童誌ルンケントゥスで全7回の物語の連載を担当することになる。

若くしてデビューしたヤンソンは、その後も作品を生み出し続けながら、1945年にヘルシンキとストックホルムの街角の売店に、ムーミンシリーズ最初の物語『小さなトロールと大きな洪水』が登場した。

今でこそ爆発的に世界へ広がったムーミンシリーズだが、発売当初は書評もたった一つという、まったくもって注目されていなかった本だった。

しかし、その後に続けて出版されたふたつのムーミン作品がヒットしたことで、世界へ羽ばたく作家としての道が開かれていった。

【私は日々、熱狂的に恋をしている。】石ころを拾うと、未来が見える。Part2


彼女の生涯には、とても興味深い点がいくつもある。

その一つが、日々恋をしていたということだ。そのことについてヤンソンは、こんな言葉を残している。

「私はいつも誰かに恋していた。それは男性のこともあったし、女性のこともあった。でも、大切なことは、私がその人と恋に落ちたということ」

トーベ・マリカ・ヤンソン

芸術家であるが故に、情熱的な恋心があったのか。逆に、恋そのものが芸術でもあったのか。

それは知るよしもないが、一代で何かを成し得る人は往々にして、激しい情熱と恋心を、晩年ずっと持ち続けていた偉人は多い。


【今日、石を拾ってみる。】石ころを拾うと、未来が見える。Part3


私は健康管理のため、山登りに出かけることが多い。そして、山道を歩きながら、さまざまな石を発見する。

そこらじゅうに転がっている石。

なんの変哲もない石たちで、意識しなければ記憶にも残らない存在だ。

しかし、ヤンソンはこうした何の変哲もない石を、独自の感性で丁寧に描きながら作品に反映させていた。

石と関わる所作や、そこに込めたヤンソンの想い。それらが無意識下で多くの人々の心を捉えるような、影響力に変わっていったのかもしれない。


【Kindle電子書籍と石ころ】石ころを拾うと、未来が見える。Part4


Kindle電子書籍は、ある意味で石ころのようなものだと思っている。

紙の出版よりも手軽にリリースできて、その手順さえ理解すればアマチュアだろうが、プロだろうが、老若男女誰でもKindle本を出していける。

だからこそ、埋もれやすいのも事実だ。

道端に転がる石ころのように、その他大勢、街の背景のように、主役ではなく脇役のような演出として。

しかし、ムーミンを生み出したヤンソンがそうだったように、その何気ない石ころに魅了される人も、世界には必ず存在する。

石には、意志が宿る。

note記事もまた、石ころのようなものかもしれない。

私もまた、毎日石ころを拾いに行く。様々なnoteクリエイターが織りなす「高貴な石ころ」の記事を目にすることで、日々感性を磨かせてもらっている。

それぞれから生まれる言葉が、また私が未来に紡いでいく言葉のヒントとなり、作品の一部にもなっていく。

この世にオリジナルは、何一つ存在しない。オリジナルの全ては、既にあるものが組み合わさっただけ。

だからこそ、私が自分一人で生み出せた産物も、何一つない。

自分から生まれる言葉は、過去関わった全ての人や、万物の記憶から構成された、頂き物の産物だから。


「石ころを拾うと、未来が見える。」まとめ


「石ころを拾うと、未来が見える。」

と、そんなわけが、あるはずがない。

そう思う感性の人もいれば、共感できる人もいるかもしれない。それは、ごく僅かな少数派かもしれないが。

君が代の歌詞に出てくる「さざれ石」も、小さな石ころの集合体である。その「さざれ石」は、神社の御神体として祀られているものもある。

1個レベルで見ると、なんの変哲もない石ころも。

それが積み重ねられていくことで、誰もが拝みたくなる御神体へと昇華されるなら。

石ころを拾うことで、未来が見えはしないだろうか。拾った石ころを、どんどん積み重ねていく。

このnote記事も、そうであるように。

人生で経験したもの全てを、note記事に日々アップしていく。そうすることで、最初は微力だったnote記事が、次第に影響力をもたらすようになり、やがて神聖なメディアに昇華される未来がくる可能性があるということだ。

私自身、noteは淡々と書いているだけだ。

しかし、気がつけばフォロー頂いているnoteクリエイターが100名を超えている。ありがたい限りだ。

だが、フォロワーを増やすことを目的でnoteは執筆していないので、それは結果的な産物として捉えている。

今後も、淡々と書きたいことを、書いたいタイミングで書いて、自由気ままに執筆するスタイルは変わらない。

さて、今日の帰り道や、明日の出発の際は、少し道端の石ころを眺めてみてもいいかもしれない。

気になる石があれば、拾ってみる。そして、観察してみる。

そこからもしかしたら、何かが変わる可能性もあり、何かに気づく閃きが生まれる可能性がある。

一瞬のひらめきは往々にして、日常の何気ない行動の中で変化を加えた時に起きるものだから。


20億PV
趣味作家newmoonより

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