プーチンの狂気とその結末 かつての暴君はどうなった
王さまの耳はロバの耳
しかも暴君には情報が上がらない
ロシアのプーチン大統領(1952〜)が、ウクライナへの軍事侵攻を決断し、実行したことは世界中を驚かせた。そして十万を超えるロシアの大軍に対し、2月24日から数カ月に渡り、頑強に抵抗しているウクライナの人々にもまた、世界中の人が目を見開いたのではないか。
しかし、ロシアの圧倒的戦力から、1~2週間でウクライナの首都キーウは陥落してしまうと当初は誰もが感じていたはずだ。何より、侵攻した張本人であるプーチン大統領自身が、ウクライナの抗戦に最も驚いているのではないか。
侵攻前のウクライナの政治情勢を報告していたロシアの連邦保安局(FSB)の対外諜報部門トップらが自宅に軟禁されたとの報道(3月13日)があったが、イギリスの高級紙「タイムズ」は、4月12日、「ウクライナ侵攻で、ロシアはぶざまな敗北 プーチン大統領はFSBのエージェント150人を粛清」と報じた。FSBでウクライナを担当している第5局が、侵攻前に「虚偽の情報」を大統領府に伝えていたことを問題視された結果だという。150人ものエージェントは、大半が解雇され、中には逮捕されたエージェントもいたようだ。侵攻が計画通りに進まないための懲罰だとみられている。もちろん、プーチンが諜報部門に責任を擦りつけただけと言えなくもないが。