民主党政権3年3カ月崩壊の主因は衆参ねじれ 致命的失敗は「不戦敗退陣の鳩山」と「参院選敗北の菅」
予想外の緊急登板の鳩山
「最低でも県外」と母親の献金疑惑でアウト
去年12月26日で、民主党政権崩壊から満10年である。当時の民主党は、2009年8月の衆院選で大勝して政権に到達したが、次の12年12月の衆院選で大敗して野党に転落した。政権担当は3年3カ月で終わった。
民主党はその後、民進党を経て立憲民主党と国民民主党に分裂した。この10年、旧民主党勢力は4回の衆院選でどの党も獲得議席が100に届かず、長期低迷に苦しんでいる。
民主党政権の首相は鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人だった。「3首相とも失敗の連続」というのが多くの国民の実感だろう。
初代の鳩山は、前原誠司(現国民民主党代表代行)、小沢一郎(元自民党幹事長)の2代の党代表の下で幹事長を務めた後、政権獲得の4カ月前の09年5月、政治資金疑惑で辞任した小沢の後任代表となった。07年7月の参院選で大勝した民主党のシナリオは「小沢首相」だったが、想定が崩れる。予想外の緊急登板という展開も鳩山迷走の誘因であった。
早くから「次期首相に」という自覚があれば、新政権の長期目標、人事構想、政権運営戦略、政策プラン、当面の施策など、政権交代の事前準備を念入りに行ったはずだが、鳩山はウォーミングアップもなく、