行ってみたかった奄美
夫の移動の内示が近い頃のある日、家事が一段落着き、昼前にゆっくりしていた。
そして正座をし〈離島に転勤になりますように〉と東に向かって手を合わせ、自宅の居間から暫く拝んだ。
それは離島手当てが付き、収入が増えると思ったからである。おまけに観光気分が味わえるでは無いか、一石二鳥間違いなし。主婦の浅知恵か、いや真剣な考察である。
それから2、3日して夫の離島転勤を知らされた、勤務地は奄美大島の本島だった。実は、離島らしき風景を夢で見ていたし、東に向かって拝んだ事もあり、願いが叶っても、さほど驚きもせずに淡々と聞いた。
次男が大学2年の夏休みに、男子三人で奄美大島へ行った時の写真が、印象に残っていた。
そして、次男が「あんな所で暮らしたい」と言っていたので、私も一度は行ってみたいと思っていた。
子供達が学校に通う時期であれば、間違いなく単身赴任であるが、この頃は夫婦二人暮らしで、その心配は無用だった。
94歳になる義父に転勤の報告に行くと『貴女も是非、一緒について行きなさい』と強く念を押された。
「はい、お義父さん、バカンスのつもりで行ってきます」と言った瞬間に後悔をした。大正生まれの人にふざけた言い方だったかも知れない‥‥
『それでいいんです。貴女に課せられた仕事は何も無いのだから』と義父は笑っていた。
文学的表現で返された事を(なんと素敵な言い回しだろう)と思い感謝の念が湧いた。
2010年3月、春の爽やかな朝、私たち夫婦は鹿児島空港から、夫の職場の数人の方々に見送られ、プロペラ機で奄美大島の本島へ向かった。
夫は、出張で何度も行っている奄美大島ではあるが、転勤として赴くのは初めてである。
浅学の私は、地図上の奄美群島の島々を一括りの意識で見ていた。想い浮かぶイメージは、島流し、薩摩藩の搾取、暖かい島、ハブの生息、観光地くらいだった。
赴任地へ向かう飛行機が着陸体制に入った時、久し振りに高揚感を覚えた。何しろ新天地で、義父のお墨付バカンスを大手を振って、2年間楽しめるのだから。
飛行機の窓から紺碧の空と海が見えている。身体は引っ越しの準備で疲れ果ていたが〈間も無く着陸‥‥〉とアナウンスが流れた時、何か違う波動を感じ胸が高鳴った。
奄美空港は、暖かく南国ムードを醸しだし、観光客らしき人々がたくさんいた。無論、夫の目的は、この地で仕事をこなし成果を出す事であるから、観光客の事は、気にならずにいたかもしれない。
私に、唯一課せられた仕事があるとするならば、おさんどんである。仕事に集中出来るように、食事での健康管理は、最も大切な事だと思った。
バカンスは、それをやる気にさせてくれる、息抜きである。
上司のAさんが、空港で私達を出迎えて、車で赴任先の事務所まで乗せてくださった。
道中、車窓から間近に見える海は、壮観だった。太陽に照らされて青く光り輝くその様に、これこそが本来の海なのか、と感嘆し「わぁ、綺麗」と憚らず大きな声を上げた。
山々も違っていた。緑が非常に濃く、となりのトトロでも住んでいそうな森が続いて、モコモコとした広葉樹が天に向かって勢いよく茂っていた。
あれから10年の歳月が流れても、鮮明に残る奄美初上陸の想い出である。今年は世界遺産に登録され、今後コロナが終息すると、益々人気が高まるだろう。この続きはユタ神様の想い出でも綴ってみよう。