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詩人

私は雑文というか、駄文しか書けないし、偉そうなことも言えないが、この世の創作の中で詩ほど難しいものはないと思う。

なんというか、小説も短歌も俳句も、あるいは論文や評論も、簡単ではないが修練すればできなくない気がする。
でも、詩は次元が違う。
詩は人を選ぶ。
読む人も。
詠む人も。

詩人は、言葉に対する解像度が並外れている。
言葉を定義するのが哲学者なら、詩人は言葉を壊して再定義する。
詩人は私と同じ言葉を使う。
でも、私には詩人の言葉を使えない。

紡がれた詩を私はただポカンと見上げるだけだ。
あまりの美しさに。
あまりの小ささに。
あまりのあっけなさに。


心に残る詩には、たった一行の楔がある。

「ぼくらは朝をリレーするのだ」

「やがて しずかで美しいじかんが やってくる」

「倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」

その一行が私とその詩を繋ぎ止める。
その一行を読んだ時の私を繋ぎ止める。
後悔や、勇気や、優しさ、可笑しみ、恨み、恐れ、愛おしさの何もかもをすべて繋ぎ止める。

その一行のために、磨き抜かれた一言を選び取る苦しさを厭わない人だけが詩人になれる。
詩人とは難しい生業だ。




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