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読書のはなし

日頃、主戦場はtwitterだ。
息をするようにtwitterを開く。
気づいたらTLを追っている。

twitterでは私は読書人だ。
フォローしフォローされているのもまた読書好きな人が多い。
もともと、本に関する情報を集めたくて始めたもので、それが勝手にTLに流れてきて参考にできるので、とてもありがたい。

私は自分の読書感想に自信がない。
人の感想を見て、私と違うな、と思っても「まぁそういう見方もあるか」と流せる。
ということは、人だって私の感想を同様に考えているのだと、みんなちがってみんないいのだと、頭ではわかっているけど。

これ読んだ、は言える。
どうだった、は言わない。

自分も読んだことのある本の感想tweetを見ると、自分の感じ方と全然違うことが多い。
あれ?と思って検索すると、だいたいにおいて私が外れ値だ。
そっか、普通はそう読むものなのか。
ということが続くので、自分の中の「普通」にはたえず疑いを持っている。
たぶん読みどころを間違えているのだろう。
でも、それには全然気づけない。
感想は気が向けばひっそりと記録アプリにつぶやくだけ。

平均的な日本人よりは本を読んできたほうだけど、本から何かを得ようとするような読み方はしないことが多い。
読み終わった後、「あー面白かった」と寝転んでしばし余韻に浸ったあと、本棚にしまってそれっきり、というのが私の最高の読書体験。
何も得なくていい。
何も学ばなくていい。
図らずも得てしまうことはある。
結果的に身につくことはある。
でも、そんなことは本来全く望んでいない。
重たいものは受け取りたくない。
賢くなりたくて本を読んでいるのではない。

読んだら忘れるが常なので、本と本を有機的に結びつけられる人はすごいなあ、と本当に尊敬する。
たとえば読書会で、
「それに関連してこんな本がありますよ」とすぐ提示できる人とか。
「この本でも同じようなことを言っています」と紹介できる人とか。
私にはそういった蓄積は皆無なので、いつも目を丸くして聞いている。

これまで平均して年100冊くらい読んできた。
それが、今年はこれまでに20冊。
しかも、5月は1冊。
このペースだと、一年では30冊に届かないかもしれない。
こんなことは未だかつてない事態だ。
一年近く予約待ちしていた図書館本も、なぜか急に興味を失い、予約を取り消した。
読みたい!と熱望して発売日に買った本も、多くが積みあがっている。
それもこれもみんなピアノのせい。
ピアノの練習が楽しくて仕方ないからだ。

とはいえ、読みたい欲が完全になくなるわけでもないので、それならばと音楽史の本を最近読み始めたのだけど、これはこれできちんと勉強したくなってきて困っている。
初学者向けの講座はないものかと探し始めて、読書の手が止まる。

そろそろ、ピアノを弾いてる場合じゃない、という本に出会いたい。
そうかどうかは読んでみなければわからないのが悩ましい。

読んでくださってありがとうございます。よろしければコメントもお気軽にお願いいたします。