束の間の平穏
いま練習しているのは2曲だけだ。
BEYERの最後の曲と「忘れな草」
たまに「次はこれ」と先生に予告されている曲を弾いてみることもあるけど、基本的には2曲だけをおさらいしている。
2曲しか練習しないなんて、私史上最少だ。
曲の数だけでは単純に比べられないが(曲の長さもいろいろだから)、いつもレッスンで取り上げられるであろうずっと先まで練習していたので、常時5曲くらい練習して、2曲くらい新しい曲に取り組んでいた。
楽譜が読めないわけではないけど、すらすら読めるわけでもない。
すると、時間がかかるものを前倒しで取り組むことになる。
新しく楽譜を読むしんどさがいつもあった。
曲のOKをいただけるのは嬉しいのに、一方で「また譜読みしなきゃ」とたえず追われている感じがあった。
いまの2曲はもう頭に入っているので、覚えるしんどさがない。
こんなにゆったり練習できるのは初めてのことだ。
今思えば、そんなに必死になって先々まで進めなくてもよかったのだが、自分が全く準備しない状態で、ろくに弾けもしない状態でレッスンを受けるのは失礼だと思ったし、「今日はここまでしかやってきていません」と言うのも失礼なことだと思い込んでいた。
時間切れで見ていただけない曲があるのは構わない。
自分の準備が足りないのはあり得ないことだと思っていた。
別に、時間が余ればレッスンが終わってしまってもいいし、お話をしてもいいのに、そういう時間の使い方は全然思い浮かばなかった(そのくせ、レッスンに入る前の雑談がめちゃ長いので、本末転倒ではある)
もっと言うと、余った時間をどうするかは先生にお任せすればよかっただけなのに、準備不足は大罪だと思っていた。
だからいつも先々までぬかりなく準備して当然だと思っていたのだ。
そういう日々に比べると、いまは本当に気持ちが楽だ。
先生に言われたことをじっくりと反芻して練習できる。
もっとこうしたらどうだろう、と考えることもできる。
何度も言うけど、これまでだってそうすればよかったのだ。
思いつかなかっただけで。
忘れな草は本当にいい曲だ。
こういうふうに弾きたい、という理想には全然近づかない。
でも、ものすごく疲れて1分も練習したくない、と思う日でも、自分を癒すために弾いてみたりする。
そういう曲を手に入れて、それだけで、ピアノを習ってよかったと心底思っている。