長いタイトル
長いタイトルの小説があまり好きではない。
「あまり」と書いたのは、全く読まないわけでもないという予防線。
例外はあるものね。
有名どころでは「電気羊」とか、「葉桜」とか。
他にも長いタイトルの名作はたくさんある。
の前に。
長い、とはどの程度かというのがある。
長い長くないというより、小説のタイトルは基本的に一語であってほしい。
できれば単語ひとつ。
「破戒」みたいな。
でなければ、助詞がひとつまで。
「伊豆の踊子」みたいな。
…と書いたそばからまた例外が💦
「国境の南、太陽の西」は助詞ふたつだけど、好きな小説だし、
「猫を抱いて象と泳ぐ」も好きだし。
「春にして君を離れ」もあった。
例外がありすぎ笑
長タイトルのはしりはたぶん「僕の妹がこんなにかわいいわけがない」かな。
それ以降、特に電撃文庫あたりでタイトル長くなっている。
仮に「僕の妹」が奇をてらっただけのものだとしたら、こんなに多くの小説が追随するわけがない。長いタイトルはちゃんとした需要がある。
本を理解する順序、というのか、私はなんとなく惹かれるタイトルを手にして、最後まで読んだ後「このタイトルにはこんな意味があったのか」と感慨に耽る、までが読書としてセットだけれど、近年はまず「ある程度中身を知ってから安心して読みたい」という読者がいるのだそうだ。
いる、というか、多い、と言ってしまってもいいのかもしれない。
タイトルを文章にして、それはあらすじを表す。
あ~こういう話なのか、とわかったうえで買う。
コスパというか、タイパというか、時間もお金も無駄にしたくないのだろうし、自分に訴求するとわかったうえで読みたいのだろう。
もうひとつ、Web上で発表する小説はタイトルが長いほうが表示スペースを広く取れるので目立ちやすい、というのが、長いタイトルに需要がある理由らしい。
発表方法に表現を合わせていくスタイル。
長いタイトルについて言いたいことは山のようにあるのだけど(言ったも同然)、調べてみると、時代の変化というか、需要の変化というか、いろいろあるものだね。
否定的な考えしか浮かばない自分の感覚なんて老害の繰り言かもしれぬ。
長いタイトルも、それはそれでありか~という気持ちもする。
それでも、私は、タイトルは短いほうが好き。
タイトルはそれだけで美しくなければ。
一言で刺してこなければ。
読者に阿るようなことはしないでほしい。
私はまずタイトルから打ちのめされたい。