「ラスト3(Last three)」に見えるモノ(上)
僕は今年、50歳になる。どうにかこうにか指揮や音楽に関わる仕事をし続けていることが嬉しいし、何よりも周りの人に恵まれたラッキーな人生だったのだと思う。それは自分が想像していた「未来予想図」とは違い、どちらかというと潜水艇の如く、水面下に潜み、時に水面から姿を現す。そしてまた潜航する・・・そんな半生だった。「実力と運」というのはある意味真理だと開業20年目を迎えて実感している。
なんだか人生の総括をしているかのような書き出しになってしまったが、こんな僕でもまだ「野心」も「夢」も失っていない。週刊誌やワイドショーに目をつけられない程度には有名になりたいし、売れたいとは思っている。人生まだまだこれからだ。
クラシック音楽の作曲家の中には、デビュー当初から爆発的に売れた人もいれば、遅咲きの人もいる。大器晩成型の人物はたくさんいるが、自分の専門領域で考えると、エルガーやヴォーン・ウィリアムズは「晩成型」の人物だ。またブルックナーも晩成型の代表だ。晩成型以外でもその生涯の前半と後半で大きく作風が変わったり、変貌する人物も多い。それは時代性もあるし、本人の心境の変化や環境の変化もあるかもしれない。以前このコラムで紹介したストラヴィンスキーも生涯に何度も「芸風」を変遷させていったことは承前の通りだ。
現在でも新日本フィルをはじめとして多くのオーケストラによって「早熟型」から「晩成型」まで数え切れない数の作曲家の交響曲が演奏され続けている。そのような作品の中から特に「ラスト3曲」にスポットを当てたコラムと作品紹介を読者の方々に向けてお送りしたい。
多くの場合、作曲家が晩年に近づけば近づくほど、その個性は磨かれていく。ごく稀に「尻すぼみ」「フェードアウト」タイプもいないではないが、大部分は年齢に比例して円熟みも増し「代表作」とされる作品を多く生み出している。ゴルフの試合でも優勝争うのは「最終組」だ。前日までの成績上位3人が最終組でラウンドする。僕個人の考えだが、クラシック作曲家の作品もラスト3曲、つまり「最終組」の作品を見ていくと、その作曲家のことが少しわかってくるような気がしている。「集大成」として「最後の曲」をフィーチャーする記事は多いが「ラスト3=最終組」にスポットを当てるとどうなるだろう?・・・そんな好奇心から筆を走らせることにした。
今回取り上げるのは、これから新日本フィルの定期で取り上げる作曲家を中心に9人の作曲家を僕の独断と偏見でチョイス。好奇心をくすぐられた方は是非演奏会に来てもらいたい。
それでは紹介していこう。
1・ハイドン(全体の約2.8%)
1人目は「交響曲の父」という異名を持つハイドン。彼は番号付きの交響曲だけで104曲作曲している。晩年の作品は興行主として知られたザロモンから招かれたイギリスのロンドンの演奏会で演奏するべく作曲されたため「ザロモン交響曲(またはザロモン・セット)や「ロンドン交響曲」と言われることが多い。ハイドン後期の作品は、のちの古典派交響曲の編成、つまり現在よく目にするオーケストラの編成が確立した作品として非常に重要だ。「ザロモン交響曲」は彼の93番から104番までの作品群を指す。その中には「軍隊」「驚愕(びっくり交響曲)」「時計」など、一度は名前を聞いたことはあるかもしれないタイトルで親しまれている作品が並んでいる。「タイトル聴き」もハイドン鑑賞の楽しみと言える。
ラスト3曲にもサブタイトルがついたものが2曲、103番が「太鼓連打」、104番が「ロンドン」という名で親しまれている。なお102番にはサブタイトルがないのだが、この作品にはちょっとした逸話がある。この作品を演奏する演奏会(王立のオペラハウスだったようだ)で、ハイドン見たさに観客が客席前方に詰めかけた。その時、ホールの天井のシャンデリアが落下したが、ハイドン見たさに観客が前方に移動していたため、シャンデリアが落下したエリアにはたまたま人がおらす難を逃れた・・・という嘘のような本当の話として伝わっている。この逸話、なせだか理由はわからないが、交響曲第96番の演奏の際の逸話となってしまい、現在では交響曲第96番に「奇蹟」というサブタイトルがつけられている。実際は102番が「奇蹟」と呼ばれるべきだったのだ。そして103番の「太鼓連打」は冒頭のティンパニの連打のソロが命名の由来だ。ティンパニ奏者の技巧を存分に楽しめるおすすめの作品。そして「ロンドン」はハイドン最後の交響曲で彼の集大成とも言える作品。ここで覚えておきたいことは、モーツァルトより上の世代のハイドンではあるが、この作品はモーツァルト最後の交響曲第41番「ジュピター」よりも後に作曲されている。長生きだったハイドン、若死にだったモーツァルトの不思議なクロスフェードを感じる。
ハイドンの交響曲は曲数も多いので、どれから聴いたらいいか悩ましい人もいるだろう。僕は晩年の「ザロモン交響曲」の中から気になるタイトルのものから聴き始めるのが良いと思う。特に「ラスト3」作品を聴くときっとハイドンの面白さが伝わるはずだ。そうなったら、あなたはハイドンに「沼落ち」するかもしれない。ハイドン沼は、深い。
新日本フィルでは秋のシーズン開始を告げる定期公演で、これら3曲ではないが、ハイドンの交響曲第6番「朝」を取り上げる。音楽監督佐渡裕が今シーズンに設定した「ウィーン・ライン」のコンセプトに沿ったプログラムだ。
2・モーツァルト(全体の7.3%)
モーツァルトは数字付き交響曲が41曲ある。その中のラスト3曲は特に「後期3大交響曲」と呼ばれ、特に多く演奏されている。モーツァルトに限らず「サブタイトル」がついているとなんとなく聞き易くなるのか人気ある有名曲になることが多いが、モーツァルトも「パリ」「プラハ」「リンツ」「ハフナー」といった名前で親しまれている作品がある。後期交響曲に限っていうと、第41番が「ジュピター」と名付けられている。他の交響曲が地名に由来しているものが多いが、「ジュピター」はローマ神話の最高神のこと。それだけ崇高で偉大な作品という意味合いで、誰かが付けたもの。同時代人であるザロモン(ハイドンの交響曲の項で登場)の書いた書物にも登場する。
この作品には「ジュピター音型」と言われている、モーツァルトが愛好した音の並びが登場する。それは第4楽章の後半のフーガ(メロディーが追いかけっこをするような音楽)で登場する。この部分について作曲家リヒャルト・シュトラウスは「私が聴いた音楽の中で、最も偉大なもの。終曲のフーガ(ジュピター音型)を聴いた時、私は天国にいる思いがした。」と手紙で綴っている。
それに先立つ2作品も名曲だ。「40番」はモーツァルト41曲の番号付き交響曲の中で2曲しかない「短調」の交響曲で、その2曲はどちらも「ト短調」という寂しげな調性を持つ。もう一つの「ト短調交響曲」である第25番を「小さなト短調」、40番を「大きなト短調」と呼ぶこともある。40番の冒頭は大きな序奏を持たず、短い導入部から主題が開始されるが、これがまた良い。「ツカミ」としては申し分なく、メロディーも有名なのでスッとその世界に入ることができるだろう。
「39番」は変ホ長調という温かみや明るい柔らかさのある調性の作品。40番とは真逆で大きな序奏部分があり、これから始まる物語への期待感が高まる。その後始まる第1主題、主な交響曲では採用されない「3拍子」で書かれているのも大きな特徴。3拍子はワルツに代表されるような「舞踊的」で「優雅な」印象を抱かせる。全編に美麗な音楽を聴くことができるので、一度聴いたらクセになる。これは19世紀初頭に出版されたモーツァルトの交響曲の室内楽編曲版において「最後」の交響曲であったので一部では「白鳥の歌」との別名で呼ばれていた。
「白鳥の歌」とは「白鳥は普段歌うが、死ぬ前に一番美しく歌う。」というソクラテスの言葉として記録されているものが由来となっている。
新日本フィルでは10月に前音楽監督、上岡俊之の指揮でこの3曲を聴くことができる。。残券稀少、思い立ったら即購入をオススメしたい。
3・ベートーヴェン(全体の約33.3%)
「楽聖」と呼ばれ、クラシック音楽に馴染みがない人でもベートーヴェンの名前や「運命」「第九」「エリーゼのために」などの作品は知っているだろう。
ハイドンやモーツァルトに比べてベートヴェンが残した交響曲は少なく、全部で9曲が完成した。この中でも特に「第9番」はクラシック音楽を代表する作品として最も知られている作品だ。日本では「第九」として広く知られている。「合唱つきの交響曲」というものが、この第九から始まったこと、そしてCD一枚の収録時間(68分)を決める際に基準となったのがカラヤン指揮の「第九」であったことなど話題に事欠かない作品だが、それに先立つ「第7番」「第8番」も特徴的な作品だ。
「第7番」は「ベト7」と日本では呼ばれている。なんでも略す日本人マインドについての論評は控えるが、この作品は「のだめカンタービレ」などでも重要なエピソード曲として登場したので知っている人も多いかもしれない。メロディーというよりは「リズム」に焦点が当てられた作品で、いわゆる「クラシックは眠くなる」という人でも比較的飽きずに聴ける作品だ。作曲家ワーグナーが「舞踊の神格化」と評したのは言い得て妙。一説には「ロックの起源」とされているとするものもいるが、それは確かな論拠があるわけではない。とはいえ、この作品の第1楽章には「乗馬のリズム」にその起源があるという説もある「8分の6拍子」が採用されていることは特筆事項だろう。躍動感と高揚感、そして力強さを感じる交響曲だ。
その兄弟作品とも言われる「第8番」はチャーミング、かつ面白い作品。ハイドン時代の交響曲の雰囲気を漂わせる曲でもある。この曲の第2楽章は、メトロノームの開発者メルツェルのために書いた作品を転用しただのと言われるが、実際は異なっている。とはいえハイドンの「時計」同様、機械仕掛けのものが律動的に刻むリズムを感じる曲だ。この作品は1楽章と3楽章が3拍子で書かれているのも特徴的で、その点ではモーツァルトの39番との親和性も感じる。クラシックの交響曲といえば、曲の最後の「終わりそうで終わらないしつこいエンディング」が多いが、この作品も「これでもか!」と思うくらいに「しつこいエンディング」だ。それがまた堪らない。
新日本フィルでは毎年恒例「年末の第九」そして5000人の大合唱が響く「国技館の第九」などベートーベンを取り上げるコンサートが目白押しだ。人気公演なのでチケットはお早めに。
今回は古典派からロマン派の入口に活躍した3人の作曲家を取り上げた。次回はそれを継承したロマン派を代表する作曲家たちの「ラスト3曲」を紹介していく。
(中編に続く)
文・岡田友弘
新日本フィルの公演情報、お知らせ、最新ニュースはオーケストラの公式サイトでチェック!
最後までお読みいただきありがとうございます! 「スキ」または「シェア」で応援いただけるととても嬉しいです! ※でもnote班にコーヒーを奢ってくれる方も大歓迎です!