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「完全な日本人」ってなんですか

昔からすごく気になっていることで、「ハーフ」という表現にまつわることがある。

日本人の母とイギリス人の父を持つ私は、いわゆる「ハーフ」というやつで、「半分日本人、半分イギリス人」という認識をされていた。

始めに言おう。「半分日本人、半分イギリス人」という認識は全く違う。私は完全な日本人でありながら、同じく完全なイギリス人である。半分だけ、ということではない。

なので、私はどちらかというと「ハーフ」という表現よりも「ダブル」の方が好きだったりする。国籍というアイデンティティで、二つ持っているのなら二つとも大事にしたいと思う。

だけど、そんなことよりももっと気になっていることがある。


「ほら、サリーナちゃん外国人だから…」

「私たちと違う。」


「ハーフ」と呼ばれるのに、半分どころか1ミリも日本人と認識されなくなることに、私はいつもむっとしていた。一度、全く知らない人から「へえ君ハーフなんだ。アメリカ人?」と聞かれたときは、いろいろと違いすぎて失笑してしまった。


一番忘れられないひとことは、小学校で展覧会で飾る絵の準備をしていた時のことである。展覧会のテーマは「和の文化」であった。


「サリーナちゃんいいよ、これやらなくて。みんなのイメージと合わせなきゃいけないから。」

「知ってるよ。できるから大丈夫だよ。」

「いやでもさ…ねえ?」

顔を見合わせるクラスメイト達。そして一人が言った。

「完全な日本人じゃないじゃん。だからあんまり和についていい絵は描けないんじゃないかなって。」


は?いくら何でもそれはないでしょ。そう思った。けれど、周りを見ると全員が私のことを、全く別の生き物を見るかのような目で見ていた。あれほどぞっとしたのは初めてであった。


私は日本人として不完全?

何がいけなかったんだろう。

わからない。

わからない。


自分のアイデンティティへの疑問とクラスで浮いてしまっているのではないかという不安、いろんなものに押しつぶされて、ぐるぐると悩んだ。


「完全な日本人」って何だろう。少しでも異国の血が流れていれば、すべてにおいて日本人らしく振舞わなければ、日本人ではないのだろうか。


ハーフ=外国人

ハーフ≠日本人


こんな認識があっては、日本での生活はミックスルーツの人にとってちょっと肩身が狭すぎる。誤った認識を正さなければいけない。

そもそも「日本人かどうか」「どのくらい日本人らしいか」なんて、そんなに大事だろうか。日本人らしい日本人同士でしか公平に交流できないのは、現代においてはもはや大問題である。


ハーフでも完全な日本人。

ハーフでも一人の人間。

日本人らしい振る舞いじゃなくても、日本人に見えなくても、第三者にその人のアイデンティティをとやかく言う権利はない。


これをもっとたくさんの人が常識として認識してくれたら、日本はもっと住みやすくなるだろうか。



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