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この1ヶ月間でよく見られた記事ー2025年1月期
こんにちは。
最近は寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
私の近況は新しい仕事を覚えたり、スポーツがオフシーズンであることもあり、投稿スピードが落ちがちな今日この頃です。
1月期総合ビュー数は?
さて、6日恒例のビュー数振り返りですが、1月期は13009ビュー、81スキ、3コメントでした。
コメントには返信できておりませんが、して頂いた方、ありがとうございました。
また、1月は23の記事(つぶやき)を書きました。
1月期最もビュー数の多い記事は相変わらず
1月期最もビュー数が多かった記事は相変わらず「【独断と偏見】関西「の」スーパー格付け①高級スーパー編」でした。
1月期、6646ビュー、4スキで先月より多いビュー数でした。おかげさまで60スキを超えた記事となりました。
この記事のビュー数が全体ビュー数を左右してるような気もしなくはありません。
1月期に書いた記事で最もビュー数が多かった記事
1月期の振り返り
1月期は関西をうろうろして、撮った写真を共有することが多かったです。
ただ1月期、最もビュー数が多かった記事は「この問題は人としての最低限の倫理観が問われます。ー「私たちは売りたくない!」感想と共に」でした。
ビュー数220、コメント1、スキ15でした。スキ数も1月期最も多かったです。
最近は月1回程度、コロナ騒動に関係する記事を書きますが、Meiji Seikaファルマの話題を中心に伸びやすい傾向にある気がします。
高校の頃はよく読書をしていましたが、大学以降読書することは徐々に減り、久々に読書をしました。どうも最近本を読む気力が起こらないのでふが、たまには本を手にとって読むのもいいものです。
そのまま例の騒動の最近の思いを綴る
この記事は人として最低限持つべき倫理観を書いたに過ぎないと考えています。しかし、その倫理観に欠けた人達がいるため、記事にして想いを綴ろうと思った次第です。
SNSで誹謗中傷問題が叫ばれて久しいですが、人々の抱える矛盾、理不尽、停滞感を顕在化したのがこのコロナ騒動だったように思えます。
表面上、いわゆる新型コロナウイルスは5類相当となり、社会的なパニックは収まっています。しかし、SNSや昨今のインフルエンザ騒ぎをみると完全に騒動が収束したとは思えません。
SNSで見かけた二重思考
先日もSNSで、ある医療関係者と思しきアカウントが、病院内でマスクをしてくれない、あるいはSNSでの病院内マスク意味なしという旨の強い言葉での反論に辟易しているという投稿を見かけました。
しかし、よくみてみると、マスクの効果は限られるのはわかっている、上の方針で従っている、上に提言しても仕方ないという事を語っていました。また、マスクを求める患者やその家族の圧もあるらしい。
そこまで分かっているならなぜ、矛先がマスクの要請に反論する人達に向くのかが不思議で仕方ないです。上に要求が通らなくとも矛先は漫然とマスク着用を強制させる上や患者家族に向くのではないかと思う訳です。
小説「1984年」に出てくる概念、異なる対立する矛盾した概念をさも当たり前かのように受け入れる二重思考を感じさせます。
そして、認知的不協和的な何かも感じすごく私の頭の中も混乱しました。
二重思考はリアルでも溢れている
ただ、このような二重思考は割と人と接すると目に触れます。
私も矛盾を感じたとき、抑え込むこともあります。しかし、現状変えられなくともおかしいことを決めている方に矛先は向かいます(と思っています)。
ただ、ドライなこともあり、自分に被害が向かないとそこまで強くは出ません。ただ自分に矛先が向いたときは態度に出てしまいます。
社会人としてはどうかと思う人も多いですし、目上の人ならなおのこと反抗は違う気もする一方、意見をぶつけあう方が健全なようにも思えます。
これは会社員向きではない発想なのかもしれません。
ただ閉塞感につつまれながらも、その閉塞感を受け入れる。そこに日本の停滞の一因が隠されている気がしてなりません。