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西浦氏のツイートを受けてウイルス騒動とは違うボヤきを書く
西浦氏の言動について思う事は結構あります。今回取り上げるのも元はウイルス騒動のネタです。しかし、コロナの事はお腹いっぱいでしょうし、ツイート内容の批判や彼の過去の発言に対する批判や評価はここではせず、高校の時から思っていた難解な文章についてのボヤきをダラダラとします。
現状況はEndemic phase移行期にリスクを受容するコミュニケーションが無かったツケという訳はでない。「これからどうなる?」は伝えた。しかし「〇〇は引き受けるぞ」を述べる覚悟がないから下の者は動けず「見返りに〇〇の自由を得る」も振り切ったバカな中身になった。皆で話し合うことさえできず。
— Hiroshi Nishiura (@nishiurah) November 14, 2024
さて。一部界隈では西浦博氏の上のツイートが読みづらくて仕方ないと話題になっています。
noteで駄文を書きまくってる私もこのツイートの文意は掴みにくいなと感じます。
中には京都大学はこういう人を雇い続けるのかという厳しい声もあります。
しかし、こういう難しい言葉や言い回しを使ったり、ルー大柴のごとく英語やカタカナ語を濫用する文章の書き方は割とアカデミックな世界ではありがちです。
私が高校生だった頃の高校の教科書や参考書、入試などはこのような西浦氏の書くような文章が題材にされ、問題が出題されてました。
当時はこんな浮世離れした文章を理解できないと、偏差値のある大学には行けないのだとガッカリしたものですし、こんな駄文がなぜ評価されるのか疑問だらけでした。
特によくわからなかったのは鷲田清一さんの文章です(遠い記憶なので間違ってたらすみません)。はっきりは覚えてませんが、ある土地に行って、見えない光景を想像して、見えるかのように書いているような作品でこの人幻覚でも見えているのかと思った程です。
あとは教科書には出ていませんが、小林よしのり氏がゴーマニズム宣言で反論してた絓秀実さんとかも西浦博氏みたいなものの書き方をしていました。確か小林よしのり氏は文章がわかりにくすぎて、批判に対し、翻訳しながら反論してたかと思います。
筒井康隆氏の文学部唯野教授という作品はアカデミック界隈が使う言語を理解しつつも皮肉っているような内容だったとも思う。
小林よしのり氏にしても筒井康隆氏にしても、高校時代の記憶だからあやふやだけど、アカデミックな界隈が使う摩訶不思議な言語を皮肉る内容に共感はしていた。
とは言っても、自分たちが知的と自負する人達や匂わせる人達が、それなりに評価され、教育やマスコミの世界で風を吹かせる時代は続くと思います。
彼らには嫉妬してた気もするし、理不尽だなと思ったことはかなりあります。かと言って自分の考えが広まることもないし、共感できるインフルエンサーによって社会構造が変わるわけでもないことに辟易していた。
それは高校時代に限らず、今もだ。諦めの気持ちだけは今の方が強い。
引用やリプを見て、今回はコロナ云々は抜きしても、西浦博氏みたいな言い回しをする人が社会でそれなりの地位を得ていることは今に始まった事ではないという事が言いたかっただけです。
というわけで、西浦博さんのことをとやかく言えない、まとまりのない文章をここまでお読みいただきありがとうございました。