いまも私の心の何処かに存在する全てを嫌悪するワタシへ (INFJ)

夜、 部屋の明かりのスイッチを消す時、私も含め世の中に存在している全ての人、人類の全ての記憶も消えてしまえと思ったよね。
ポケットにはビアスの「悪魔の辞典」を入れて、社会、そこで生きる人々、そして自分に、エゴ、偽善、欺瞞、虚偽を感じ取っていたよね。

人が嫌いだったし、何よりも自分自身が嫌いだった。

けど、人を嫌いになれなかったよね。純粋に優しい行為、人が創り出した美しいものはこの世に存在するって知ってたからさ。
純粋に優しい行為に触れた時、こんな私を心底惨めに思ったし、とても無力に感じたよね。

自然の恵みや人々の支えで生きているんだからさ。一人では生きていけないんだ。

ん?ワタシが私と一緒なのが今も不快かい。いかにも悟ったって奴の説教が死ぬほど嫌いだからね。じゃ、代わりに君と呼ぶよ。残念だけど、今から話すことはその類の話だよ。そんなに長くは話さないよ。

エゴ、偽善、欺瞞、虚偽。
どんなものにもそれらを見出そうと思えばできるもんだよ。この世をエゴだらけに見ることだって可能だよ。

競争して人を蹴落としまで、何かにしがみつこうとしている人を見ると、とても醜く感じるんだよね。そして自分がそうなることは耐えられないよね。

彼らがしがみついているものを君はいらないと思っていたけど、どこかでそれを望んでいるのではと思う自分もいたし、それを望んでいる自分も嫌っていたよね。
自分がエゴそのものになった感じがするからね。けど、開き直ってエゴにまみれて真っ黒にもなれないし、ましてや真っ白になることもできない。そしてそんな自分も嫌いになる。

けど君が嫌った人たちだって、苦しみながらも懸命に生きているんだ。想像してみたことがあるかい?

本質、真実の追求、全てを見通すような直観、人類や社会への洞察力、不正を見抜く慧眼、利他の精神、公平性、正義感、審美眼、芸術的センス、創造力など

これらの内面的な組み合わせは君の外見的特徴と一緒になり、君を極めて特別な存在にしてくれるかもしれないね。

けどさ、これらにあまりにもに自分を重ね、心の中で他人と比較して、批判したり、精神的優位を感じたりすればするほど、君も同じように裁かれてどんどん孤立して苦しむことになるよ。
これは孤高ってよりも、むしろ醜悪な存在といったほうが適当だと思うよ。知ってるよね、鏡には映らないけどさ。

本当はわかっているよね。君が他人のエゴに対して不快、嫌悪を感じ、反発しているのは自分の中に同じものを抱いているからだよ。

君はよく本当の自分を探したり、自分って一体何だろうと思っているよね。苦しいよね。けど、この手の探しものは自分の中にあることがほとんどだよ。
トリッキーな質問に思えるかもしれないけど、君の肉体に生命が宿ったのと、アイデンティティの確立、いまの君の苦しみでもいいさ、時間軸で生じたのはどっちが先だと思うかい?
生命だとは思わないかい。君も私も、私たちは生命でもあるんだ。いや生命こそが私たちと言ったほうがいいかもね。

私=アイデンティティやエゴから生命=私たちに意識をシフトしてみるんだ。生命を共有してる感じだよ。ちょっと想像するだけでもいい。

その視点から見るとさ、生命である私たちはエゴに乗っ取られて自分や他人を苦しめて傷つけたりしている感じがするんだよ。
そうだとするとさ、君も私も含めて、人、人類ってさ、自分が何かわからないで、そんなんことをずっとずっと繰り返しやってきて、いまもやってるんだよ。おそらくこれからもさ。滑稽だしクレージーだと思わないかい?
「彼らをお許しください、彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」って言った偉人の言葉が少し理解できる感じがしないかい?

自分が独裁者、犯罪者、自分をいじめた人、嫌いな人なんかと同じ生命ってすごく不快感や嫌悪感があるかもしれないね。それでもさ、君が授かった才能を使ってエゴのパターン、本質を自覚的に探すことに努めるんだ。
それを上手くできるようになるとさ、自分が才能を授かったのは、エゴのパターン、本質を探し出して人々を良い方向に導くためと思えるくらいだよ。

他人の言動やエゴに不快や嫌悪を感じたときはさ、その言動やエゴをそのまま受け取るんじゃなくて、エゴ、言動の背後を見て、何がそうさせているかってのを冷静に自覚的に分析するんだよ。
それは大抵、自分に関心を持って欲しい、自分を大きく見せたい、自分を目立たせたい、特別な存在でいたい、物質的、精神的に他人より優れていたい、そのためにもっと欲しい、自分を損ないたくない、損したくない、身体的刺激を満たしたい、何かから逃げ出したいって感じなんだよ。そして大事なのは自分の中にもそれを見出すんだ。エゴ=悪と裁かないことだよ、癖で無自覚でやってることだからさ。そうするとさ生命である自分や他人が単にエゴによって動かされているってわかるんだ。

そう考えるとさ、自分や他人を少し許すことができないかな、少し優しくならないかな。

いまの私は自分に折り合いをつけながらもどうにかやってるよ。そんな生き方は君にとっては嫌悪の対象かもしれないけどさ。
信じられないかもしれないけど、この前なんて街のアスファルトにできた水たまりに映る人々や自分、建物、植物、空、鳥、雲、色々な光を見て歩いていると、幸福感に満たされて全てを愛おしくてたまらない気持ちになるんだ。そんな気持ちになる時があるんだよ。一年に数える程だけどさ。それは悪い気持ちではないよ。

うんざりしてるかい。黙って聞いてくれてありがとう。
帰る前にもう少し言わせてくれ。

君のこと好きだよ。君が授かったものを大切にするんだ。そして耐えるんだ。少しずつでも自分も他人も許して受け入れることができるよ。いい方向に行くことができるよ。エゴの炎に焼かれながらでもさ、いい方向に向かうことを選択できるんだ。だから耐えるんだ。