【佐竹健のカルトーク 学校編】第一夜 学校に伝わる形ある伝統
学校には伝統が受け継がれている。
受け継がれている伝統の一例として、防衛大学校の棒倒しや水戸一高の「歩く会」がそれに該当する。こうした代々受け継がれている伝統がある学校は、上に挙げたところ以外にもたくさんあるだろう。特に創立が明治・大正期からの学校には多い傾向がある。
対して戦後、特に70~80年代にできたものに関しては、そうしたものがない傾向がある。
学校ができた時代背景や歴史は、伝統の有無にも大きく関係しているようだ。
カルトーク学校編初回は、過去に私が見たり聞いたりし、調査した学校の伝統について話そうと思う。
伝統には、形あるものとそうでないものがある。形あるものは、建築や工芸品、庭園といったもの。対してそうでないものは、人間の持っている芸や歴史学的民俗学的に価値のある祭りなどだろう。
一般的に学校に伝わっている伝統というものは、後者だろう。建築物や工芸品のように形はなくとも、次の学年からまた次の学年へと継承されているからだ。
だが、ここでよく考えてほしい。
学校に伝わる伝統は、形のないものばかりなのだろうか?
学校に伝わっている伝統というものは、無形のものが多い。無形のものをもっと簡単に言うなら、文化祭や体育祭で代々やっている目玉行事だ。
対して、形あるものが伝わっているという話はあまり聞かない。特に中学や高校は特に。
これに関しては、学校にある形ある伝統をメディアがあまり取り上げないのが大きい。それに加え、中高生は部活や勉強で忙しい。そのため、アカデミックなものやアートに気が向かないというのも大きそうだ。
だが、大学、それも歴史学や考古学、特定の宗教に関わる学部を持っているとなると、話が違ってくる。
渋谷に國學院大學という神道系の名門私立大学がある。かつては西の皇學館大学とともに、皇室の史料を管理していた。
國學院大學には博物館がある。そこでは、神道関連のものや遺跡から発掘された遺物を展示している。
神道に関するものでは、僧の格好をした八幡神の肖像、男神・女神の神像が展示されている。また、考古学関係では、土偶や銅鏡、銅鐸などがある。
古代日本の姿がわかるものから、神像や中世の神道祭祀の様子がわかるものがメインというべきか。特に古代史や中世の神道史を考える上では、とても価値が高い。
仏教系大学の形ある伝統についても話そうと思う。
西巣鴨に大正大学という仏教系の大学がある。主に浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗を扱っている。フジテレビの人気番組『逃走中』の舞台にもなっているので、知っている人も少なからずいるだろう。
大正大学にも、形のある伝統が伝わっている。
礼拝堂があるのだが、そこに阿弥陀如来坐像が祀られている。
その阿弥陀如来坐像は、元々広島の寺院で祀られていたもので、安徳帝の冥福を祈って作られたのだそう。大学の前身ができたときに、時の住職が寄付したものらしい。
大正大学にあるのは、阿弥陀如来坐像だけではない。
塔のような場所がある。正式名称はさざえ堂。そこには、聖観音が祀られているのだが、それを守るように制吒迦童子(せいたかどうじ)像が祀られている。
この制吒迦童子像だが、平安末期の作で、元々は個人が持っていたもの。それを大学が寄付し、さざえ堂に安置しているのだとか。
大正大学に伝わる有形文化財は、仏教色を一面に出している。それも平安時代からあるものなので、芸術的文化的な価値が非常に高い。
私学では、形ある伝統も大切に扱っていて、そこに学校の個性が強く出ている。特に宗教系の学校はその傾向が強い。
私学ばかりでは偏っているので、国公立の学校の例も話そうと思う。
東京大学には、史料編さん所がある。
そこには、古代から明治維新にかけての史料が保管されている。ただ、国公立大学ということもあってか、宗教色は薄く、アーカイブとしての役割が強い。
また、東京大学は敷地そのものが文化財で、かつての加賀藩上屋敷の敷地にあたる。その証拠に、当時の庭園や門が残っている。ちなみに有名な赤門は、加賀藩邸だったころの名残の一つだ。
最高学府ともなると、歴史や伝わっているもののスケールが桁違いだ。
学校に伝わっているのは、形ないものばかりではない。
國學院大学や大正大学、東京大学の例は極端な話だ。だが、小中学校や高校の校舎内でも、探してみればどこかしらに形ある伝統はあるものだ。
これを読んだ読者、特に学生や教師、講師の方は、学校へ来たときよく見てみるといい。先ほど例に挙げた三校のように大それたものはないが、何かしらあるはずだから。
【前回のカルトークの内容はこちら↓】
第一夜
第二夜
第三夜
第四夜
第五夜