【エッセイ】無い長所を作るより、ある短所を伸ばそうと思った(『長所がない』の改題&改稿版)
私には長所がない。
この答えに行き着いたきっかけは、人生において、褒められたことよりも怒られたことの方が何倍も多いからだ。これは後で話す、「褒められた経験は何一つないが、怒られた経験ならば誰よりもある」ということに関係してくる。
どうやら私には、褒めるところが何一つないらしい。
※
私の短所について話そう。
傍目から見て、私には短所がたくさんあるのだが、その中でも、特に目立つものについて話していこう。
一つ目は、人並みの根性がないこと、そして非常に物覚えが悪いことだ。
だから、何かを課せられたとき、できなくてすぐに折れてしまう。それ以前にかなり不器用なので、単純なことを覚えるだけでも莫大な時間がかかる。
このことで怒られたことは、何度もある。だから、何かをするときは、どうしても人の助けが必要になる。それがどんな無能にできることであっても。
二つ目は、褒められた経験は何一つないが、怒られた経験ならば誰よりもあることだ。
そのため、人様に語れるキラキラとしたエピソードは、何一つ持ち合わせていない。代わりにしょうもない話や、暗い話ばかり持っている。どんなにいいように修正しても、美談にはならないものばかりだから、長所にしようとすると必ずボロが出る。
それに世間の人たちは、私のような、根暗で無能なコミュ障を求めていない。明るくて有能な話し上手といた方がずっと楽しいのは当然だ。だから、比較の対象や、ストレス解消のためのサンドバッグにされることもよくある。それで私は何度理不尽な罵詈雑言を吐かれたことか。
おかげで、相手が褒めているつもりで言っていたとしても、
「どうせ皮肉だろ。わかんだよ」
または、
「どうせ裏があるんでしょ」
と思うようになってしまった。
反対に誰かに怒鳴られると、殺されてしまうのでは? という強い不安感と恐怖感に駆られるようになってしまった。
結果、褒めても怒ってもマイナスにしかならない人間のできあがり。
たとえるなら、煮ても焼いても蒸してもおいしくない、激マズで調理困難な食材になったというわけだ。
最後に挙げるのは、コミュニケーション能力0ということ。もしかしたら、それ以前にマイナスかもしれない。
人と話すとき、私は口が動かないことがよくある。何を言いたいかは、頭ではっきりわかるのに。
だから、言葉でしっかり伝えようとしても、どもってしまったり、結局何を言いたいのか言えずに終わったりするので、
「で、結局何が言いたいの?」
もしくは、
「意味わからない」
という返答で済まされてしまう。仮に言えたとしても、同じようなことを言われるので、丁寧に解説しようとする。だが、また似たような返しをされるので、堂々巡りになる。そして最後は何も言えずに話が終わる。だから、話し合い1つするにしても、第三者が介入しないとできない。
これが、私の短所だ。人の世で生きていく上で必要なものが、全て欠落している。
「長所が0で短所が100でもいいや」
最近そう考えるようになってきた。何もないよりは、強烈な悪い部分があるだけでもずっといい。「悪名は無名に勝る」という諺がそれを証明している。
長所を無理に作ろうとすると、いずれはメッキがはがれる。短所ばかりと嘆いていても、メンタルをすり減らすばかり。なら、短所しかなくても希望を持って生きられる方法を考える方が、ずっといいと思った。
そしてこの思想をさらに発展させ、最近では「短所を伸ばそう」と考えるようになった。無い長所を作るより、ある短所を伸ばした方が効率がいいからだ。
だから私は考えた。無い長所を作って、中身スカスカな口達者になるより、既にある短所を極めた強力な猛毒になろうと。
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