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【歴史小説】第69話 忠実と頼長③─親心─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 北面の武士に追い出された私と頼長は、宇治にある自宅へと帰った。

「ごめんよ、頼長。私が不甲斐ないせいで、いつも辛い目に遭わせてしまって」

「気に病むことはありません、父上。子どものころからいつも、私のために頑張ってくれていた。そんな父上を、私は誇りに思っていますから」

「そう言ってくれたのは頼長、お前ひとりだよ」

「光栄です」

「ただの左大臣止まりで終わるのは、とても口惜しい」

「父上、落ち込まないでください。あ、こういうのはどうでしょうか? 兄上の屋敷を襲うのですよ。さすがに本人を殺すのはマズいので、妻子を人質に取って、命が惜しければ関白と氏長者の位を私によこせ、と脅すのです」

「そんなことをしたら、検非違使が黙ってないぞ」

「父上、案ずることはありません。為義を何だと思っているのですか? 彼も立派な検非違使の役人。拷問をさせて罪状をでっち上げることもできますし、何より殺人も彼に頼んでやってもらえば、証拠を捏造してもらうこともできる」

「そ、そうだな」

 少し強硬的すぎるので、私は眉をひそめた。心を鬼にして止めようと思ったけれど、頼長をどうしても関白にしたい、と思う親心が邪魔をする。道理と親心。この二つを天秤にかけてみたが、勝ったのは親心だった。

 忠通とは違い、この手で手塩にかけて育ててきた頼長。それゆえ、どの息子や娘たちよりも愛しく感じるし、心配もする。守ってやりたいとも思う。

 今になって、頼長が暴走し始めたのはこのときからだ、と私は思う。そしてその暴走に拍車をかけていったのが、私の行き過ぎた親心だったのかもしれない。


   2


 前の院に追い出されてから10日後。頼長は為義らを召集し、忠通の住む摂関家代々の邸宅東三条殿を襲撃した。結果は成功。妻子を人質に取り、氏長者に代々継承される朱器台盤の奪取、さらには忠通を追い出して行方不明にさせることにも成功した。

 だが、この一件には目撃者がいた。忠通に呼ばれ、遊びに来ていた白河院のご落胤。

 白河院のご落胤は、父親が院近臣であることを傘に、忠通を匿い、一緒になって我々がやったことを院に告発したのだ。

 呼び出しがあった当日。私と頼長は渋々、鳥羽院の召集に応じて鳥羽へとやってきた。

 私と頼長は無実を主張した。この物騒な世の中、鷹峯や羅生門の跡地などに住んでいる盗賊たちが、貴族の屋敷を襲うなんてことは、ざらにあったからだ。

 前の院は私たちの話を一切聞くことなく、白河院のご落胤を呼び、その様子がどのようなものであったのかを聞かせたのだ。

 関白と氏長者の位を頼長に譲るように、と私は忠通に要求した。

「父上、それは妻子を返さない限りはできません」

 断固として私の申し出を拒否する忠通。

 だが、こちらには有利になる切り札が一つあった。人質として屋敷に置いている忠通の妻と私の孫たちの存在だった。忠通も人の親、自身の息子が無惨に殺されるのは見たくないだろう。私は忠通の耳元に近づき、血縁者に対する情を揺さぶるように、人質である妻子の命と引き換えに家宝を
差し出せ、と囁いた。

 形勢がこちらに傾いたと見た前の院は、

「忠実、これ以上吹き込むのは辞めよ」

 と怒鳴りつけた。

 この様子では、寵愛している忠盛と白河院の落胤の主張を、前の院は受け入れそうだ。脅しに屈して、氏長者の位と東三条殿、関白の位を譲りますと言ってしまえばそれでいい。だが、必死で震える唇を閉じているので、言っても無駄であろうと考えた私は、

「これは失礼いたしました。この子は親の言うことを不孝者でね。それと、もしも頼長に関白と氏長者の座を明け渡すということができないのなら、帝も人質に取り、院を幽閉しますが、それでもよろしくて?」

 時間稼ぎを兼ね、前の院を脅すことにした。

 幽閉すると脅されたせいか、脂汗を流し、顔色が真っ青になった前の院。しばらく黙り込んだあと、媚びるように、

「それだけは辞めてくれ! 頼む。あ、そうだ、こうしよう! お前たちが奪いたがっている氏長者の座は、頼長に譲ることはできても、関白の座までは明け渡すことはできない。その代わり、頼長を内覧の地位にすることはできる。それならばどうだ?」

 代替案を出してきた。

(それでも、いいか……)

 私は前の院の提案に、納得した。頼長が関白にできなかったことは残念だった。だが、道長のように、内覧であっても立派に政の指揮を執った人物はいる。改めてそう考えてみると、内覧でもいいじゃないか、という諦めと満足感が徐々に覆ってきた。この満足感が、帰った後に起きる悲劇へと繋がることは、このときの私はまだ、気づいていない。


   3


 宇治の屋敷へと帰ってきた。日はすっかりと暮れ、帰り道にはまだ紅色だった夕焼け空も、藍色の夕闇一色に染まっている。

 遅めの夕食時、頼長は酷く苛立った口調で、

「こうなったら、本気で忠通の大事なものを奪うことにしよう。そのために、婿であり、自分の息子のように可愛がっている帝を。そのときの動揺は、さぞ大きなものだろう」

 とつぶやいた。

 私は頼長のこの言葉を聞いたとき、鳥肌が立った。

「帝殺し」

 この国においては、一番の大罪。それを今、頼長は実行する意思がある。今は踏みとどまる時期。頼長の願いをかなえるためにも止めなければいけない。

「頼長、それは正気か⁉」

「正気です」

「帝を殺せば、お前の夢である百済王朝の復興はおろか、左大臣と内覧の地位をも失うのだぞ。朝敵にでもされたらどうすんだ? それに氏長者と内覧になっただけでもいいじゃないか。あの道長だって、関白になれずともこの国の歴史に名を残せたのだから」

「それはわかってます。でも、いずれは帝も殺さなければいけない。私の野望のためには」

「だからこそ、帝の殺害は控えるのだ、頼長」

 私がそう言ったあと、頼長はしばらく苦しそうな表情を浮かべたあとに、とんでもないことを言い出した。

「もういいです、父上。今日で私とは親子の縁を切りましょう」

 なんと、親子の縁を切る、と明言したのだ。

(頼長も裏切るのか……)

 私の胸の中は、悲しみで満ち溢れていた。でも、一度言い出したら止まらない頼長のこと。きっと、私が親として忠言を言ったところで聞くはずもないだろう。

「やりたいのなら勝手にしろ。私はもう知らん。もうお前の父親ではないのだからな」

 遅めの夕食の後、私は荷物をまとめ、次の日の早朝、頼長とずっと暮らしてきた宇治の屋敷を出た。そして今暮らしている南都の別荘へと向かった。

「ごめんよ、ごめんよ……」

 南都行きの車の中で、何度もこの言葉をつぶやき、私は涙を流した。狩衣の袖が濡れるほどまでに。


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