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【エッセイ】三河③─岡崎城 その2─『佐竹健のYouTube奮闘記(89)

 天守閣にある本丸へ着いた。脇にある龍城神社の脇に石垣をどっしと構え、その上に鎮座している。

(やっぱり見栄えが違うよね)

 天守閣があるのと無いのとでは、見映えが違う。それが模造であろうが再建であろうが。

 青空とはよく合う。天守閣の堂々とした感じがより際立って見えるから、何倍も立派に見える。今日みたいなからっと晴れた秋晴れの日の穏やかな空の場合は言うまでもない。

 神社を参拝したあと、岡崎城の写真を撮った。

岡崎城天守閣


 写真と素材を取ったあと、岡崎城の天守閣の中へと入った。

 中は博物館となっていた。

 模造天守の場合、天守閣の中は博物館となっていることが多い。そして中も近代的な鉄筋コンクリート造りのそれである。もちろん頂上の望楼は街を見渡す展望台となっている。

 岡崎城の天守閣の中も、こうした典型的な模造天守の中だった。

 2階は岡崎城についての展示となっていた。江戸時代の岡崎城の模型や鉄砲、刀などが展示されていた。

 2階の展示の中で一番印象に残っているのは、城の模型だった。

 こちらは掛川城の有志が作ったものとは違い、本格的なものだった。本丸から二の丸、そして周りにもたくさんあった曲輪や水堀、近くを流れる乙川や伊賀川も再現されていた。

(やっぱり広かったんだな……)

 岡崎城の模型を見て、私はそんなことを思った。

 今でも城は十分広いわけだが、軍事施設としてまだまだ現役であったときの城はもっと広かった。様々な曲輪があったり、堀があったりした。戦国時代の城がどのようなものであったかについての詳細は、『佐竹健のYouTube奮闘記(78)』「遠江③─掛川城二の丸御殿─」にて語っているので、こちらを読んでいただけるとうれしい。

(岡崎城って、川に囲まれてる場所にあったんだ)

 模型を見たとき、私は岡崎城が川に囲まれていることが気になった。というのも、お城の近くには川が流れていることが多いからだ。

 これについては、やはり川そのものが天然の堀としての役割を果たしていることが大きい。また、城内に物資を運び込むときに水運を利用して楽々と運び込めるからというのもあるだろう。

 前者については、単純に堀を掘るという手間が省けることが一番の理由だ。堀を掘るにしても、百姓を徴発して人件費を払う必要がある。その人件費もバカにならない。だが、近くにほどほどに幅が広い川があったらどうだろうか? 川があればそれだけでも天然の堀になるし、堀の工事費を削ることも可能だ。よほどの愚か者でない限り、それぐらいは思いつくことができるであろう。それと、川の近くには見晴らしのいい高台がある。いわゆる河岸段丘とか呼ばれている台地だ。こうした高台は見晴らしがいいので、敵がどこから来るとかを確認するのに都合がいい。また、敵が攻めて来たときに、崖から石を投げたり、油樽を投げて火をつけたりして対処できる。ようは守りに優れているのである。

 後者は、川が生活や産業の水源だけでなく、交通としても使われていたことにある。

 埼玉県と東京都を流れている川に新河岸川という川がある。赤羽の辺りで荒川と合流し、隅田川と別れる。名前に「河岸」という言葉が入っているように、江戸時代には江戸と武蔵の村々を繋いでいた。周辺の村々で作られた野菜や果物、川越の街で作られたモノを船に積み、それを新河岸川の船に積んで、江戸の街へと運ぶということをやっていたのだ。

新河岸川

 その新河岸川であるが、しっかり川越城とその城下町も通っている。しかも、城の横を。喜多院から少し離れた場所に、仙波河岸という今で言う物流ターミナルみたいな場所があったのも偶然ではないだろう。こうしたことから、川の近くに城を築いておけば、物流を抑えることもできる。

 他にも、川を通る船が運んでいる荷物のチェックや通行料を徴収できる関所のような場所を作れば、監視もできるし、利益も取れて一石二鳥である。ただ、川上から敵が攻めてくるとなると相手に利があるので、少し面倒ではあるが。

 岡崎城は二つの川に囲まれている。このことから、防衛・交易双方を考えて川と川との間にある現在地に城を築いたのであろうか。


 3階では、江戸時代の岡崎の街並みの模型、そして地場産業である石の加工と花火についての展示がされていた。あと綿だか染色だかの展示もあった気がする。

 江戸時代の岡崎の街並みは随分と精巧で、時代劇とかに出てきそうな感じであった。岡崎は東海道の宿場町であることから、当然江戸方面からも京都方面からも人が来る。その関係で宿屋や店もたくさん建ち並ぶから、必然的に栄えたのであろう。

 江戸時代の岡崎のジオラマを見たあと、私は石工のコーナーへ向かった。展示には石工についての解説と石の加工段階を示したものがあった。

(へぇ、岡崎って石の加工で有名だったんだ)

 岡崎市については、度々目にする機会があったから、三河にあることは知っていた。が、石の加工技術が有名であることについては、この日初めて知った。

 どこの街にも、優れたものはある。前に旅した上総の姉ヶ崎は大根、駿河の駿府はプラモデルといった具合で。岡崎の優れたものは、石工だった。

(こういうのって、価値があるよね)

 地域の優れたものは、町の誇りである。こういうものはこれからの世代にも受け継がれていってほしいものである。


 天守閣の最上階へ登った。欄干の向こう側からは、ところどころ背の高いビルが顔を覗かせている岡崎の街並みが見えた。

(そういえば、東海は栄えてるな)

 伊豆国の三島に来ていたときからそんなことを考えていた。

 伊豆の三島の街も、ほどほどにではあるが、周りにいろんな店があって栄えていた。遠州掛川の掛川城の天守閣から見た景色の中にも、高い建物がいくつかあった。政令都市である静岡は言うまでもない。浜松も静岡のように栄えているのであろう。

 対して、関東の都市というのは、意外にも落ち着いている。駅前とメインストリートがやたら栄えていて、そこから数百メートルもしくは1キロ以上離れると、高い建物をあまり見かけなくなってくる。関東をメインに活動していたときに、様々な場所を巡ったが、大体はそんな感じであった。東京23区の大部分やその周辺の政令市を除いては。

 また、東京の中心部を25キロほど離れると、急に鄙びてくるのも関東地方の都市の特徴であろう。自転車で様々な場所を巡ってきたが、都心もしくは副都心から30キロくらい離れると、高い建物があるような場所は少なくなってくる。さいたま市とか千葉市みたいな都市が近いところだと話は別であるが。そして50キロ離れたら、どこにでもあるような小さな町とさほど変わりはない。

 何を言いたいのかといえば、関東地方の都鄙は極端なのである。何もかもが、東京もしくはその周辺にある大都市に集中している。そして、発展しているのも中心部とその周辺ばかりだ。

 反対に東海地方は、名古屋という大都市からある程度離れていても、いろんなお店があったり、高い建物のあったりするそこそこ規模の大きな街がいくつもある。全体的にほどよく栄えているのだ。一つのところに片寄っていないから、バランスがいいのである。

(だから、東海地方にはパワーがあるんだろうな……)

 そう考えながら、私は岡崎城の天守閣から、ほどよく栄えた町並みを眺めた。

(続く)


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佐竹健
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