[8/25更新]楽に生きるため、やめること
自分が楽に生きるため、やめるべき事を考えた。
思いついたら付け加え更新していきたいと思う。
①時間に追われる事を、やめる
私はいつも時間に追われていた。
会社員時代も毎朝5時台の早朝に起き、タイマーで15分を測り『掃除』『身支度』『朝食』『弁当作り』をしていた。
朝の電車乗り換えもいかに効率よくできるか考え、スマホで乗車タイマーを表示させ、移動中も早足でせかせかせかせか移動していた。
きっちりできたとき、爽快感でいっぱいになった。
その反動でできなかった時は、ひたすら自己嫌悪でイライラしていた。
何故そのようなことをしていたのか…
『世間から置いていかれたくない』この一心だったのだと思う。
世間についていく為には自分に常に鞭を打ち、無理をしてせかせか動かなければ、「普通の人」と同じスタートにも立てなかったのだ。
いつも、心臓がどきどきしていた。
いつも、何かに追われているような感覚になっていた。
疲れるのは、当たり前である。
②見栄を張るのを、やめる
恥ずかしい話だが、私は見栄っ張りだ。
出勤服・鞄・靴など、誰かと競い合うように流行のファッションを追っていた。
ファッションを楽しんでいたというよりは、小綺麗にみられたいという願望。
ある時、ミニマリストに憧れた時から考え方が変わり、
自分が心地よいと思う服を着て、自分が好きなファッションをすればよいという思考が固定されつつある。
最近勤めていた会社は辞めてしまったが、通勤時はシャツに黒パンツというスタイルを一貫してできていたので、大変楽だった。
この思考は継続していきたいと思う。
③手作りにこだわることを辞める
お金がないから、という理由もあったのだが、自炊する事を自分へ強制していた。
「自炊して生活しないと一人前の社会人ではない」と思い込んでいたからだ。
残業で遅くなろうが、体調悪かろうが、自炊をする自分に酔っていたのか?
無理をして心身のバランスを崩した時に気が付いた。
時間にも心にも余裕が無いのに、自炊をし更に余裕を無くす意味とはなんなんだろう?
金銭的な面でも、必ずしも自炊=節約ではなく、かえって野菜を使いきれず余らせてしまったり、自炊した食事を食べきれず破棄してしまったりなどもある。
本末転倒だ。
遅く帰ってきた日は、コンビニでも、スーパーのお惣菜でよい。
今のコンビニ食、おいしい!さすがに毎日は飽きると思うが上手に利用し、心と体のバランスをとりたいと思う。
すべてにおいて、共通していえること。
『○○しなければならない』という思考になった場合、
『本当に?』と自分自身へ問いかけてみる。
しなくてもなんとでもなるし、してもしなくても大して変わらない事が大半だ。
問いかけた上でも考えが変わらない場合、何故?と突き詰めてみる。
その正体は『願望』なのか『世間体』なのか『見栄』なのか。。。
もしも『願望』ならば、自分の気持ちが分ってよかった、と捉える。
その願望をかなえる為に、ゆっくりと進んでいく計画を立てれば良い。
もしも『世間体』『見栄』ならば、捨ててもいいよね?と再度自分へ確認し、捨てる。
自分の抱える荷物が一つ減って、よかった、と捉える。
大丈夫。これで、もっと歩きやすくなるはず。