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子どもを深く観る

先日、私が顧問をしている保育園の職員研修を行いました。
研修のテーマは「最近困ったり、迷ったりしていること」でした。
先生方にいくつか具体的な項目を挙げてもらい、それに沿ってみんなで対話をしていきました。

幼児クラスの先生が「子どもの言葉遣いが悪くて困っている」と話していました。
特定の子の名前が挙がり、他の先生方も「わかる、わかる」というように頷いていました。

なぜその子は乱暴な言葉を発するのだろう?
どんな時に乱暴な言葉になるのか?いつもではないはずだ。
同じ言葉(例えば、ババァ)でも、気を引きたい時、気に入らないことがあった時、面白がっている時、疲れている時、眠くてイライラしている時など、その時々で、その言葉に含まれる意味が違うのでは?
「ババァ!」と言っている時、それはその子にとって、どのような気持ちから出た言葉なのか?

このような話が出てきました。
“その子が悪い”と決めつけずに、該当の子どもだけではなく、他の子も同じような場面があることを挙げながら、子どもたちを丁寧に捉えようとしている先生方の姿が見られました。

以前にもブログの中で書いたことがありますが、言葉は“意味”と“音“に分かれます。
「ババァ!」という言葉を聞くと、誰もが“悪い言葉”と判断し、「良くない」という“評価“を付けて聞いているでしょう。
同じ「ババァ!」という言葉でも、その言葉に付いた“音“を聞いてみると、その時その時に違うことがわかります。

気を引きたい時は「ぼくをみて!」という音のエネルギーが含まれています。
気に入らないことがあった時、子どもが自分でも言葉にできない何かを訴えるエネルギーが含まれています。
面白がっている時は、一緒に遊びたい・楽しみたいというエネルギーが乗り、疲れている時や眠くてイライラしている時は、そのイライラエネルギーをただ吐き出したいだけだったりします。
大人は言葉だけを聞いて、その意味を良い・悪いで評価判断してしまいがちです。
そして、「きちんとした言葉で言わせよう」とすることも多いのではないでしょうか。

子どもの言葉にどんな音のエネルギーが乗っているか、深く聴くことが子どもを理解することにつながります。
言葉にならない何か伝えたいことがある時ほど、子どもたちは一言で感情を吐き出すような”乱暴な言葉”が出てくるように思います。
その言葉が子どもたちのどんな思いから出てくるのか・・それを知ろうとする大人のあり方が大切です。
子どもたちのそばにいる私たち大人の、子どもを理解しようとしているあり方が子どもたちに伝わり”愛されている体験”になります。
幼少期の”愛されている体験”は、子どもの心の土台となるのです。



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