内在的解離と忘れっぽい私について
なんかもういろいろありすぎて、トラウマ治療やってるんですけど、なんかこう日々が大変すぎて、今日はセラピストさんに
「うーん、戦場で治療やってるみたいですね。本当はもうちょっと落ち着いたところで治療して、ああ、あれは過去のことだよなあと思えるのがいいんですけど」
と言われてしまった。
確かに仕事や職場のストレスが凄すぎて、野戦病院で治療してもらってる感が強すぎ。
なんなら砲弾の音とかバンバンしてる中みたいな。
全然PTSD癒えなさすぎる。
それで、自分がよくいろんなこと忘れちゃうこと、どうも自分の中で細かく「解離」起こしてる感じがするなあと思ってるんです。
明らかな多重人格までいかないけれど、自分の中でふんわり細かく解離した部分があったりするのを「内在的解離」というらしいのですが、自分はそれがあるなあと。
2-3歳ぐらいまでに激しいトラウマ的状況があると、人はその場を切り抜けるために解離を起こして乗り切るんだけど、解離しちゃうと凍りついた記憶となってしまい、通常の記憶みたいに過去になっていかないらしいのです。
あと自分の本当の感覚を切り離して、あたかも平気な顔してやり過ごす人格を瞬間的に作っちゃうとか。なんなら、平気な顔の自分を本来の自分として、苦しんでる自分を切り離しちゃうみたいな。そして苦しんでる人格は、本来の自分と統合されてないからいつまでも癒されないで苦しみ続けちゃうとか。
そうすると、なんかの時にフラッシュバックみたいにその記憶や苦しんでる人格が「まさに今」起こってることかのように現実感鮮やかに襲ってきちゃう。
そして、脳の中で瞬間瞬間にそういうフラッシュバックに襲われて、なおかつそれがオモテの意識に溢れ出さないように押さえつけてみたいな作業を脳が必死にやってると、パッと自分の注意が途切れるから、「あれ? なんだっけ? いま何してたっけ?」となる。
というのがあるらしいのです。
自分は多少、生来のADHDみたいなとこある気がするけど、どっちかっていうとこういう内在的解離のほうがいまの自分のありような気がするんですよ。
なんかつらくて号泣してても、号泣してる自分は浅いところでしかなくて、腹の底のところが本当の助けても言えずに凍りついているというか。何も感じないし、死んでる感じというか。何も動かない感じがするというか。
この腹の底のところの自分と出会いたいし、そこが生きているという感覚になれるようにしたいというのが、私のトラウマ治療の一つのゴールなんだけど、そしてそれは進みつつはあると思うんだけど、まあ、野戦病院で戦火の中を治療してるみたいなもんだからね。
いつ治療終わるのかわかんない。手当してもしても日々に抉られるというかね。
たぶん、外から見たらそんなふうには見えないと思うんだけど、そんな戦いを繰り広げてる日々です。
やー、この戦いが終わったら、オレ、故郷に帰るんですよ。
ほんとに、帰る。(涙を拭う)