
歴史は続くよ、どこまでも(歴史編)
ある日、突然違う国が日本に来て「私たちの言語を話しなさい」と強要してきて、突然日本語が無くなると決まったらどう思いますか?
そのまま誰かが解決してくれるのを待つのか、
国民として行動するのか。
言葉の為に闘う人たち
バングラデシュはベンガル語国語化運動を経て、1971年にパキスタンから独立してバングラデシュ(旧東パキスタン)となった。
この言語戦争の始まりは、パキスタンが東パキスタン(現バングラデシュ)にウルドゥー語を強要してきた事から始まる。母国語を守る為、ダッカ大学の学生が立ち上がってパキスタン側と闘った。
その際に、立ち上がって亡くなった人たちと母国語をイメージしたモニュメントが全国の町中や学校に設置してある。
バングラデシュの学校では、その記念日にモニュメントに献花をする事が恒例行儀になっている。
献花の際は、先生や地域の大人も含めて靴を脱いで行う。不思議に思って理由を聞いてみると、国の為に戦ってくれた先人たちが土の下に眠っているので、土足では校庭を歩かずに尊敬を込めて裸足で歩いているそうだ。
そうやって育った子供たちは、大人になっても国の記念日には国旗を掲揚し、その休日の意味を理解して休日を過ごす。
バングラデシュの記念日に街を歩いていると、町中で車に国旗をつけて走っている車が走り、家の軒先にも国旗がつけられている。そして街には、チラホラ国旗売りが歩く。
当時、自然に国旗を掲揚したり国の事を語っていたりする姿を見て、うらやましく思った事を覚えている。
日本では公共機関では国旗を掲揚したりするが、民間レベルで掲揚していたり、国の話をする人は少ない。日本では聞き馴染みない愛国心という言葉を使おうものなら、右翼なのかと思われてしまう方が強い気がする。
日本の歴史について、説明できる?
バングラデシュで生活していると、よく現地の人に日本の事について聞かれた。ある日、道端にあるお茶屋(チャドカン)でお茶を飲んでいると、後ろにいた男がお茶をご馳走してくれた。彼と話している中で、首都の人口や大きさ、主要産業、歴史など、日本についてきちんと伝えられなかった。それは言語力の問題もあったが、単純に知識が足りていなかった。
すると、その男はこう言った。
「自分の国の歴史を知らない人とは話す価値がない」
そして、去って行ってしまった。
悔しい気持ちもあったが、何よりも自分の国の歴史を知りたいと思ったので、近現代史についての本を日本から送ってもらった。読んでいく中で、自分の国にさらに興味が湧いた。
自分が学生の頃の記憶では、近現代史の単元はサラッと終わった記憶しかない。3学期末にそのテーマを扱っているので、時間がなくて飛ばされてしまったのだろう。年号や出来事は覚えたけど、どういう経緯で戦争や条約などの出来事ができたのかは覚えていない。
その当時の国民になりきりながら、戦争に至るまでの経緯を子供に考えさせて、戦争をするのかしないのか判断させたり、班ごとにロールプレイするのは子供にとってジブンゴトになるから記憶に残りやすい。
実際に、大学の先輩は授業に取り入れていて、双方の立場の子供たちの意見を聞くのが面白いと言っていた。戦争に至るまでの経緯を学びながら互いの立場から考えて、話し合うことで理解を深めていく。
二国同士、互いの論理が折り合いつかなくなり、互いの正義を貫く為に戦争に突入していくのだから、どちらが悪いかを決めるのは難しい。そこに利害関係や損得感情が入り、周りの国が批判したり擁護したりする。偏った見方にならないようにしたいものだ。
エルサレムや中国と周辺国の領土問題なども、見方によってどちらも正義になる。みんなが正義だと思っていることの中には、力の強い国の視点での正義だったりすることもある。
トモダチとトモダチ。 (反日教育)
現地でボランティア活動をしていた韓国人と仲良くなり、ある日、会話が盛り上がったので反日教育について聞いてみた。やはり、学校教育で反日教育を受けたと言っていた。20〜30代の人は、日本のポップカルチャーが浸透している頃に生まれているので反日の人は少ないみたいだが、上の世代は日本のことをあんまり良く思っていない人が多いと言っていた。
今、こんなに仲良く飯を囲み、酒を酌み交わしているのに、お互いの国に嫌い同士の人がいると思うと残念なところがある。私の周りでも、韓国や中国の悪口を言っている人を耳にしたりする事がたまにある。
話を聞いて、非常に残念な気持ちになる。人だから合う合わないがあるから仕方ないが、私が残念に思うことは、大体の人がその国の人とちゃんと話したこともないのに、メディアの情報に踊らされているということだ。
私は、中国にも韓国にも仲の良い友達がいる。もちろん、それらの国に行ったこともある。国の政策として、どうかなと思うこともあるがそれはあくまで国同士の話で、民間レベルの話でそんな嫌なやつに会ったことはない。
どの国でも良いやつもいれば、悪い奴もいる。
日本だってそうじゃないか。
セレクトショップ、テレビ局
日本のテレビで流れている情報はほとんど全て日本語に変換されたもので、海外の生の情報は入って来づらい。日本のテレビ局12チャンネルの選んだ情報が生活に流れてくる。近年は、インターネットから情報を得る人も増えたので海外の情報にも触れやすくなってきているが、依然としてテレビの力は強い。
米英社会からの視点に寄ったCNNやBBC、アラブ社会の視点に寄った報道をしているアルジャジーラなど、海外のニュース番組は日本で放送されていない。海外に行くと、世界的に有名な国営放送を見る事ができて、色々な視点からの情報を手に入れる事ができる。日本のテレビだけ見ている人とインターネットなどで海外のニュースに触れている人とでは、情報の量や視点が大きく異なってくる。
会話をしてても思うのが、テレビだけを盲信している人たちとインターネットの情報も取り入れている人たちの間で考え方に開きがある。日本に目を向けながら、世界にも目を向けることが日本をさらに柔軟にしてくれるはずだ。
海外では、当たり前の認識も日本だけの情報に頼っていると世界の認識とのヅレが出てきてしまう。情報を制限することで、国民を上手くコントロールしているからこそ、安定的で安全な国家を維持できているのかもしれない。
私が小学校の先生をやっている時は、海外の友達から聞いた情報や海外メディアからの情報も取り入れていた。常識に縛られないで、広い世界を知って欲しかったので、夏季休業中に海外に行く度、感じたことや学んだ事を私の自由研究として発表していた。