バングラデシュの生活
私は、首都ダッカでのホームステイと語学研修を終えて、今バングラデシュ国ボリシャル県アゴルジャラ郡カティラ村にいる。見渡す限り畑、池、川、木、鶏、牛、ヤギという大自然である。
首都からバスと船を何回も乗り換えて、14時間以上かけてやっと辿り着くのが私の赴任先のカティラ村である。21世紀の現在でこんな暮らしをしているところがある事に衝撃を覚えた。イメージをするなら世界ウルルン滞在期に出てくるような場所だ。
飲み水は、井戸水、電気はかろうじてあるが日のほとんどが停電である。舗装された道路より、レンガか土でできた道の方が多く、どこも凸凹道だ。風呂は池で入り、飲水は井戸の水を飲む。外で風呂に入るので女性は服を着たまま体を洗う。
宗教が毎日。
イスラム教が9割のバングラデシュでは珍しく、カティラ村はヒンドゥー教かキリスト教しかいないので挨拶もアッサラームアライクム(イスラム教)ではなく、ノモシカル(ヒンドゥー教)かグッドモーニングになる。
首都にいる時は、近くのモスクからアザーン(祈りの予鈴のようなもの)が朝5時頃から爆音で聞こえ、ムスリムは日に5回のお祈りをする。しかし、ここの村では近隣の家から聞こえてくるヒンドゥー教のお祈りである。
医師が始めた教育NGO
私の配属先は、BDP(Basic Development Partners)というNGOで学校を運営している。「すべての子どもに読み書きを」というコンセプトから始まった。ある医師が村人に薬を処方しても、ほとんどの村人が読み書きができなくて薬の用法容量が分からない事に問題を感じて、このNGOを立ち上げたという。
この小学校に通う子供たちは、
主に公立学校をドロップアウトした子供や近くに公立小学校がない子供、公立学校に通うお金がない家庭の子供がほとんどである。
ほとんどの校舎は木とトタンでできた校舎である。中には日本の学生団体などが寄贈したコンクリートの校舎もある。校舎内は、電気は通ってないので明かりは太陽の光を頼りにしていて、机も椅子もボロボロで狭いスペースで何とか座っている状態だ。
教育現場=国の未来
私は担当地域にある学校をバイクで巡回して、学校の現状を見る事にした。
一番最初に学校の様子を見た時、愕然とした。自分が日本で見てきた学校の状況と全く違い過ぎて、どこから手をつけていいのか分からなく絶望的に感じたことを覚えている。
授業は、考えさせる授業ではなく、ひたすら読ませて暗記をさせる授業が行われていた。学校の状況について言えば、先生は棒を持って歩き、子供が回答を間違えたら叩く。先生が授業に来ない、授業中に電話をする。教室の床にゴミを捨てるのは当たり前だ。
まさに教育現場に国の情勢が表れている。この状況だと、この教育を受けた子供たちが大人になっても社会の状況はあまり変わらないのではないか。教育現場を見れば、その国を今後どういう国にしていきたいかが見える。
日本の教育現場で働いている教員は、世界の流れの中で日本をどんな国にしていきたいのか考え、仕事に取り組んでいる人はどのくらいいるのか気になった。やはり教育とは、国家の柱であり国費を十分に使うべきだと思う。
OECDの教育状況の調査結果を見ても、2010年の日本のGDPに占める教育機関への公的支出の割合は加盟国の中でも最下位だ。2017年の調査結果を見てもあまり変わっていない。社会が発展を求めているば、尚更、待遇や研修制度、設備などに適切に公的資金を使って欲しい。
他国の現状を見ることで、自国の現状を振り返ることができる。他国と比較するのは一喜一憂の為ではなく、自国を知るためだ。
他者がいることで自分がどんな人間か知れるのと同じで、
他国を知ることで自国を知ることができる。