開き直りの美学(言語編)
皆さんは、自分の言いたいことが言えない時にストレスを感じるのではないか。上手く思ったことを伝えられない、相手に自分の思うことが理解してもらえないなどの経験があるはずだ。
私は、基本的に思ったことをすぐに口に出してしまう性分なので、あまり今までストレスを感じたことがなかった。それが今回は、思ったことが伝えられないという経験したことのないストレスと戦った。
言いたいことも言えない苦しさ
旅行では、言語が話せなくてもある程度どうにかなるが、暮らすとなると言語を身に付けなくては活動や生活が円滑に進まなくなり、結構なストレスが溜まってくる。特に村での生活は、ベンガル語のみで英語も使えない。
想像してみてほしい。日本人も誰もいない外国の辺鄙な田舎で、自分の思っていることを伝えられず、相手の思っていることも理解できない状態で生活をすることを。
一時は、活動を終えて帰ると部屋にこもっては本を読む等、塞ぎ込んだ時期もあった。村に外国人がやってきたということで、常に村人の誰かが話しかけてくる状況に慣れていなかった。首都でのホームステイが終わったかと思ったら、この村には一人暮らし用の家がないのでキリスト教徒の老夫婦の家に住まわせてもらっていた。常に誰かがいることに強いストレスを感じていた。
それに、自分の気持ちが相手に共有できない事がこんなにストレスになるとは知らなかった。まさに幼児のような感覚だった。「〜がしたい」と思っても伝えられず、また泣いて伝えることも出来ず、その気持ちは内へ内へいってしまっていた。
親友と言語
よく言語を身につけるには外国人の恋人を作るのが早いと言うが、私の場合は親友を作ることで言語を身に付けていった。
ある日、一人の青年と出会った。
彼は、プロションジットと言って家の近くの売店の息子だった。大人しい17歳の青年で、適度に距離感があるところがとても心地良かった。他の村人は、こちらの心境も踏まえずにひたすらガツガツ話しかけてくるので困っていた。
毎日のようにプロションジットに会うようになっていった。そのおかげで、自分のペースで話ができるようになり、他の人とも積極的に関わるようになっていった。どこの国に行ってもそうだが、若者と仲良くなるには現地のスラングや下ネタを覚えることで距離間が縮み、仲間内のコミュニティにも招待されるようになった。
エタ キ?(これ何)という短文を使って、色々なものを指差しながら物の名前を知り、実際にボディーランゲージをしながら動作を表す単語を教えてもらったりした。そこで覚えた単語や文章を、茶屋にいるおじさん達相手に使う。そして、おじさん達に文章を直されたり、新しい言い回しを教えてくれて、またそれを同僚やお茶屋のおじさん達に使うというサイクルで言葉を急速に覚えていった。
ワタシ第二言語デス。
正しく話すことも大事なのだが、そこにこだわっていたら話すのを躊躇するようになってしまい、使う回数が減ってしまう。言語は、使ってナンボだと思う。座学で基本的な文法や単語を覚えたら、恐れずにドンドン使っていかないと、とっさに出てこない。
第二言語なんだから、少し話せるだけでも立派だと思う。例えば、日本に住む外国人の話す日本語がカタコトで分かりづらくても、話している相手が何を伝えようとしているのか、こちらは一生懸命に耳を傾けて理解しようとした経験はないか。
一生懸命伝えようとしている相手を無下に扱う人は、少ないと思う。「私は、第二言語で話しているのだからカタコトでもいいじゃないか」というある種の開き直りも必要だと思っている。このマインドで気持ちが楽になり、会話する回数を増やす方が、結果的に相手との関係性を構築しやすいのでオススメする。
言葉が思うように話せるようになるにつれて、いつも通りの自分を取り戻し積極的に色々な人と話して生活圏内も広がっていき、村での生活が充実していった。活動の方も先生とコミュニケーションが取れるようになり、より学校の現状も知れるようになった。
通じ合えば、笑顔になる。