クソバカどもが夢のあと - 『ナイブズ・アウト:グラス・オニオン』
ライアン・ジョンソン。映画好きやドラマ好きを集めてこの名前を聞かせれば、半分は「いいね」と頷き、もう半分は不機嫌そうに顔をしかめるだろう。
名作ドラマ『ブレイキング・バッド』では、ライアン・ジョンソンは視聴率が最も高い回と最も低い回の両方を監督している。そして、悪名高い『スターウォーズ/最後のジェダイ』。ライアン・ジョンソンは伝説的なシリーズに新風を吹き込み──これまで聖典として崇め奉られてきた設定を派手にブッ壊し──ファンベースを二分した。ある人に言わせれば『最後のジェダイ』は"スターウォーズに現代的メッセージを含ませた名作"であり、またある人に言わせれば"誰もが思いついたけどクソバカすぎてやらなかったハイパードライブ特攻を採用した迷作"だ。
緻密なプロットで観客を沸かせたと思いきやグッダグダな三文芝居をやったりするライアン・ジョンソンは、映像監督としてどこか捉えどころがないように見える。天下のスターウォーズで一種のやらかしを犯してしまったせいで、ほとんど脊髄反射的に彼のことを嫌悪する人も大勢いる。けれど、12月からNetflixで配信されている『ナイブズ・アウト:グラス・オニオン』は、そんな人にこそ観てほしい映画だ。
きっと、ライアン・ジョンソンのことを見直すはずだから。
※以下には『ナイブズ・アウト:グラス・オニオン』のネタバレが含まれる。核心に至る部分は避けるように努めるが、覚悟を決めることだ。
過去イチ楽しそうなダニエル・クレイグ
ダニエル・クレイグといえば、言わずとしれた6代目ジェームズ・ボンドであり、複雑な過去を持つ冷徹なスパイを10年以上も演じ続けてきた。コロナ禍により公開が度々延期された『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』をもって彼はこのアイコニックな役に別れを告げ、俳優として次のステップに進み始めている。
『ナイブズ・アウト』シリーズは、まさにダニエル・クレイグの第二の出発点といえるかもしれない。彼が演じるのは、知的でユーモアにあふれた名探偵、ブノワ・ブラン。フランス語系の名前からも分かるように、ブランはいかにも現代版のエルキュール・ポアロだ。黙っていると相変わらずクールなのに、喋り出すと探偵らしい好奇心の強さが見えてくる。そのギャップが見ていて面白いし、ダニエル・クレイグがイキイキと演じているのがすぐに伝わってくる。スパイとして10年以上も眉間にシワを寄せてきたのだから、そりゃ楽しくて仕方がないだろう。
ちなみに、便宜上"シリーズ"と書いたが『グラス・オニオン』を見るにあたって前作『ナイブズ・アウト』を見る必要はない。古典的な探偵小説と同じく各事件は完全に独立しており、観客を作品同士のつながりで惑わせようとはしないからだ。
大富豪の所有する小島、招待されたセレブ達、招かれざる客、そして探偵。これで謎に満ちた殺人事件が起きなければウソだと思えるような、格好のクローズドサークル。しかしそこで起きるのはひねくれた変化球のアンチ・ミステリであり、クソバカどものドタバタ喜劇である。
また、本作はその舞台からテーマに至るまで、同じく2022年に公開されたスリラー映画『ザ・メニュー』によく似ている。両方見れば分かるが、この一致は偶然というより、それを時代が求めたからというべきだろう。
燻製ニシンしかないミステリ
この映画は、Netflixによる配信スルーとは思えないくらい豪勢にネタが詰め込まれている。島を所有する大富豪が出資しているという設定のもと、『ジェレミー・レナーのホットソース』や『ジャレッド・レトの紅茶キノコカクテル』など、笑えるほどしょうもないカメオがこれでもかと繰り返されるのだ。チェーホフの銃にしたがって有効活用されるネタもあれば、『コロナ禍で暇だからリモートでトレーナーをするセリーナ・ウィリアムズ』といったマジで投げっぱなしのネタもあって、とにかく見ていて飽きない。
これらのネタの数々は、真面目に謎解きをやろうとする観客や探偵をからかうために存在しているといっていい。この映画に出てくる思わせぶりな要素はすべて贅沢な燻製ニシンだ。
そう、無数の燻製ニシンがいわば本作最大のトリックだ……否、クソバカでボンクラの先駆者気取りに頭のいいミステリなど、ハナから期待しすぎだ。ブランも観客もミスリードをうまくかわして真実に辿り着こうとするわけだが、それはかなわない。ガラスでできた透明のタマネギの中心は常に見えているが、皮をいくら剥いても直接それを見ることはかなわないのと同じだ。タマネギには中心など存在しない。薄っぺらな皮が何枚も重なり合っているだけであり、中心だと思っていたところにあるのは、心底ガッカリするような虚しさだけ。
……ああ、ネタバレを避けるために持って回った言い方になっているのが歯痒い。俺は本来ネタバレなど気にしないのだが、今回は特別だ。特別に配慮したいと思うくらい面白い映画なのだ。とにかく、俺に言えるのは、この映画にトリックらしいトリックなどないということだ。だからこそ我々は鮮やかに騙されるし、それが暴かれるときにはとても奇妙で新鮮なカタルシスを得る。
こんな豪華な座組でそんな大それたことができるのは、確かにライアン・ジョンソン以外にはありえないかもしれない。
もう少しこの映画について書こうと思ったが、やめる。種明かしをしてファストなんたらの真似事をするのは不本意だ。それに、この映画にはそもそも種も仕掛けもないのだから。