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2023年下半期ベスト本【サイエンス編】

上半期ベスト本はコチラ:
 ・サイエンス編
 ・アート編

下半期は比較的大著に取り組んだこともあり、読んだ冊数としては上半期ほど多くない。その分、面白さや発見はてんこ盛りで、学びも深かった。

名作や大著は、時間をかけるだけの価値がある。当たり前といえば当たり前だけど、やっぱり「鈍器」を見ると二の足を踏むのよね…そこら辺のハードルをもう少し下げたいと思う今日この頃。


幻覚剤は役に立つのか

文句なしのベスト、文句なしの鈍器本。

人の意識・自我とは何か?幻覚剤はそれにどのように作用するのか?進化の中で、キノコはどうやってその成分を獲得したか?

「幻覚剤」という切り口から、現代の精神医療の問題点やその克服のためのヒント、そして人間の精神の本質そのものまで浮かび上がらせる。その語りは、それこそ脳汁が出るほど面白い。上半期に紹介した「なぜ心はこんなに脆いのか:不安や抑うつの進化心理学」の知識と合わせると、面白さはさらに上がる。鈍器を食らわば類書まで!

驚きとは、無垢なまなざしで何かを初めて見たとき、あるいは今まで気づかなかったことに気づいたとき、その副産物として湧く感情であり、大人の脳みそはえてして排除しようとする(だって非効率じゃないか!)。ああ、私という人間は、たいてい近未来という時制で暮らし、心のサーモスタットはいつも不安や心配にセットされて小刻みに震えている。ありがたいのは、めったに驚かないことだ。そして残念なのは、やはりめったに驚かないことだ。

マイケル・ポーラン著「幻覚剤は役に立つのか」より

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか

1年前の自分と今の自分を比較して、一番大きく変わったと思うことが「言語化を重視しなくなったこと」だ。情報を伝達する手段としての言語はもちろん有用だけど、身体感覚や心情を記述する道具としての言語は、とてつもなくポンコツだ。例えば、自転車に乗れない人に、言語だけで乗り方を教えるのはとてつもなく難しいはず。

でも、改めて「言語とは何か?」と考えると、とんでもなく難しい問題であることに気づく。そして「言語で意味を伝える」という行為も、どこかで身体感覚に頼っていることが分かる。

オノマトペから言語の持つ特徴、そして記号着地問題にいたる流れは、ドラマチックな物語そのもの。言語、そして言語学という学問の面白さが詰まった本。

高い学習能力を持っている学習システムでは、何かのきっかけでシステムが起動されると、知識が知識を生むというブートストラッピング・サイクルによって知識がどんどん増えていくのである。

今井むつみ、秋田喜美著「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」より

こころを旅する数学

「もっと早く読んでおきたかった!」と思う本がある。本書はまさにそれで、できれば中学生の頃に読んでおきたかった。

数学のような抽象概念を扱う学問であっても、そのキモは「身体感覚」「直感」、そしてそれらを共有し、高めあうことができる仲間の元への「旅」だ。コレを知るのは遅すぎたんだろうか?いや、そうではないはずだ。本書が言うように、人はその直感さえもアップデートできるのだから。

「私には特別な才能などいっさいない。ものすごく好奇心がつよいだけだ」
15歳のころ、私はアインシュタインのこの言葉が大嫌いだった。トップモデルが「大切なのは内面の美しさよ」と言っているようなもので、嘘っぽいと思っていた。はっきりいって、こんなばかげた発言に耳を傾けたい人などいるのだろうか?

しかしながら、本書で最も伝えたいのは、アインシュタインのこの言葉を真に受けるべし、ということなのだ。

ダヴィッド・ベシス著「こころを旅する数学」より

悪意の科学: 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?

よい本なので、まずはそのダメなところを。「悪意に対する対処方法」については、あまり価値があることは書かれていない。おそらく、大半の人が興味があるのは、そのことなんだろうけど…。

でも、本書は「なぜ対処が難しいか?」をずっと説明しているようなもの。チンパンジーなどの人間以外の動物は悪意、つまり「自分の利益を犠牲にしても、相手に損を負わせる」意図を持たない。その結果どうなるか?もっと陰惨な争いが発生するのだ。

悪意は、不要な競争を避ける効果もあり、進化の過程で人間が獲得した重要な機能でもある。だから、現代になってそのマイナス面が顕著になっても、簡単には捨てられない。どうしたらいいか?のヒントは、実は「幻覚剤は役に立つのか」の方が詳しい。そういう意味で、今年のベスト本はかなり繋がっている(少なくとも僕の中では)。

わたしの意見としては、人間の反支配的傾向も権力を求める傾向も悪意の定義に当てはまる行動を導きうる。反支配的な面は他者から後れを取るのを嫌う。(中略)一方、権力を求める面も、他者より劣ることを嫌い、他者に優ることを好む。

サイモン・マッカーシー=ジョーンズ著
悪意の科学: 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか」より

からだの錯覚 脳と感覚が作り出す不思議な世界 / いいかげんなロボット: ソフトロボットが創るしなやかな未来

人の身体はやわらかい。人の身体はいいかげん。そして人の(あるいは生物の)身体は、それ自体が信じられないほどの知性に満ちている。

「からだの錯覚」は人の身体、特に触覚が持つ曖昧さとその可能性について。「いいかげんなロボット」は、生物の身体を再現するロボットからの視点。やっぱりこの2冊は分かちがたい。

ある種のからだの錯覚には、乗り物酔いとは異なる「きもちわるさ」が付帯します。この「きもちわるさ」とは、からだの錯覚が、単に身体のイメージを錯覚させるだけでなく、同時に「自分」のイメージをも錯覚させていることと深く関係しています。

小鷹研理著「からだの錯覚 脳と感覚が作り出す不思議な世界」より

情報処理を分散させることによって、高度な情報処理・運動制御や、損傷時におけるリスク分散などが実現できます。タコのように身体に分散する情報処理・制御系によって身体の動きを制御するのが、多くのソフトロボットでめざしている一つの方向です。

鈴森康一著「いいかげんなロボット: ソフトロボットが創るしなやかな未来 」より


身体と向き合う、おぼろげな感覚と向き合う

図らずも、5冊に共通するのが、どこかで「身体」と関係していること。まさか数学の本でさえ、身体論が出てくるとは思いもしなかった。そして、ここでは紹介できなかったけど、僕がずっと取り組んでいた専門分野も、広い意味で「身体」に関係している。

身体の感覚は、言葉よりずっとおぼろげで、つかみどころがない。一方で、とんでもなく豊潤で多様な色彩を放っている。読書を通じて、身体と出会う。そんな思いもよらぬ出会いも、読書の醍醐味なんだと思う。

アート編につづく!

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