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万物相関の理(共同体)

アイデンティティーナンセンス説の提言

まず、タイトル、サブタイトルの言葉の概念から紐解いてみましょう。

アイデンティティ

アイデンティティは、個人や共同体が自分自身をどのように認識し、定義するかに関する概念です。「自分自分であると自覚すること」「連続性のある自己認識を持つこと」「自分価値他者認められること」などを意味する表現です。

わかりやすく言えば自分何者であるのかを認識して他者区別できる状態でこれは、自己認識や社会的な役割、文化的背景など、多くの要素によって形成されます。

アイデンティティは、他者と区別する何らかの特徴を確立すること、わたしとは誰なのか。自分とはどういう人間なのか。

アイデンティティは、自己形成に必要不可欠なものとして考えられてきました。「私は男(女)である」「私はトランスジェンダーである」「私は日本人(○○人)である」というようなアイデンティティを持つことが人間の成熟には必要不可欠なものであり、自己を理解するためにもアイデンティティが必要なのだと考えられてきたのです。

アイデンティティを確立すると、成熟期に「自分が何者なのかわからない」という未知の自己への不安を取り除き、自分を鼓舞するものになる場合がありますが、しかしながらアイデンティという概念が存在することによって逆にそういった不安を助長する強迫観念作用にもなりかねないともいえるような気がします。

現代社会では、グローバル化や多文化共生の進展により、アイデンティティの多様性が増しています。
共同体のアイデンティティと記憶

アイデンティティは、連続性と斉一性からなるといわれており、連続性は過去と現在そして未来が一貫した自分で構成されるという感覚。そして斉一性は、自分が周りの社会・他者から是認されている同じ人間だという感覚のことである。この二つがあって出てくる自分への感覚を「アイデンティティ」という。
「あれ、私なにしたいんだっけ?」という状態を意識して初めて自分がアイデンティティを獲得しようとするのかもしれない。(ちなみに、この「やばい、どうしよう、おれって何者なんだ、?」という状態をアイデンティティ拡散といったりする。)}そもそも自分の存在に対して不安になることって、裏を返せば外部(他者)軸になっていたからといえる。
自分を思い返してみるとだけど、幼少期より少しずつ形成されていったと思う。その中でも思うのは、「受け取ってもらえなさ」なんじゃないかな。自分がジブンとして自己を軸として生きようとするときに、それを相手に受け取ってもらえないという状況。もっといえば、「私を変えよう」とする圧力が働くから、自分軸をやめるのではないだろうか。他者軸にわざわざ切り替えるからこそ起きることともいえるのじゃないか。

アイデンティティのいらない世界|せいすけ (note.com)

ナンセンス説

ナンセンス説は、意味や価値が固定的ではなく、文脈や視点によって変わるという考え方です。これは、ポストモダン哲学やポスト構造主義の影響を受けており、ジャン=リュック・ナンシーなどの哲学者がこのテーマを探求しています。教育関係における自由について

ナンシーは、共同体の概念を再定義し、固定的なアイデンティティではなく、常に変化し続けるプロセスとしての共同体を提唱しています。


万物共同体

万物共同体は、すべての存在が相互に関連し合い、依存し合っているという考え方です。これは、仏教の縁起やエコロジーの視点とも共通しています。万物共同体の視点から見ると、個々の存在は独立した実体ではなく、全体の一部として存在しています。共同体、エクリチュール、物

これらの概念を組み合わせると、アイデンティティは固定的なものではなく、常に変化し続けるプロセスであり、他者や環境との相互作用によって形成されるものと理解できます。ナンセンス説は、この変化の中で意味や価値が流動的であることを強調し、万物共同体の視点は、すべての存在が相互に関連し合っていることを示しています。

こうして導き出される「アイデンティティーナンセンス説」と「万物共同体」の関係について深く理解するための解説を進めて行きたいと思います。

この章では、古典力学的思考「実体、本質」といった存在論からではなく、ネオ科学的「プロセスの存在論」「複雑系」「非平衡統計力学・非線形科学」などの観点を支持する立場から提言を導き出したものです。それは結果として仏教原理とシンクロするものでした。

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