あいみょん「ふたりの世界」について考えてみた
先日、友人に連れられて綿矢りさの小説「ひらいて」を映画化したものを見た。映画についてはえびせんのように薄い考察を書き連ねても見苦しいだけなので、ここでは書かないでおく。ただ、非常に面白かった。
その映画の中で主人公とその友達がカラオケに行くシーンがある。他の女子高生とは違い、凛とした威圧感を纏う主人公が歌っているのは、あいみょんの「ふたりの世界」だった。
家に帰り、なんとなしにその曲を聴いた。特に聴き込んだこともないけど、メロディとサビくらいは知ってる曲。久しぶりに聴いて、疑問に思った。
いつになったら私のことを
嫌いになってくれるかな
いや、そこは嫌いじゃねぇだろ、と素で思った。
そこで引っかかった私はYouTubeを止めて、最初に巻き戻す。
「ふたりの世界」あいみょん
いってきますのキス
おかえりなさいのハグ
おやすみなさいのキス
まだ眠たくないのセックス
あいみょんらしい、甘々なカップルが目に浮かぶ。セックスとか、婉曲的に仄めかさずに言うのがまたあいみょんらしい。
ちなみにYouTubeで他に見たライブ映像では、「まだ眠たくないの〜??」とあいみょんが観客にマイクを向け、ドームにこれでもかと密集した観客が叫ぶ「セックス!!!」が心臓を揺らすほどに轟いていた。楽しそうだな。
悲しいだけなら
こんな恋はしてない
あなたの声だったり
笑い方が好き
さっきの甘々なシーンの続きを期待していると裏切られる。満たされた生活に少し翳りが見える。
好きなところは優しいところ、とか、顔がイケメンすぎてやばい、とか言ってるうちはまだ何も始まってない。
自分のものではない匂いとか、意外と小さい耳とか、普段は見えないところにある黒子とかを好きになった時、本当に恋に落ちている。
だけど、悲しい。
その理由ははっきりとは明かされていない。さして重要ではないのだろう。
いつになったら私のことを
嫌いになってくれるかな
そんなことばかり期待している私は
ちょっとズルいかな
お互いもうダメだというのは分かってるのだ。
分かっているけど、表面的な甘い生活があまりにも甘いから、離れられない。自分からは切り込めない。だから、相手が踏み込むのを期待してる。ちょっとズルいのは分かってるけど。
サヨナラって言わないでって言うくせに
いつも私が「さよなら」を告げるのにね
自己中心的に進む恋愛とこの先の不安が
混ざり合って 抱き合って 今がある
このサヨナラ、とか「さよなら」が日常的な挨拶なのか、もっと重い意味をもつのか、その両方なのかは分からない。でも、相手には多分期待できない。自分が踏み出すしかないことを薄々感じてる。そっちもズルい。
そばにいるだけで幸せだなんて
私そんなこと今まで一度も思ったことないわ
でも勘違いしないで
嫌いなわけじゃないのよ
私だってよく分からないわ
なぜ泣いているのか
目が合うとドキドキする。世界が敵に回っても私は味方だよ。そばにいるだけで幸せ。西野カナとか、少女漫画に聞こえてきそうなセリフを、キラキラした目で語りたかった。
語りたかったけど、そう思えた事はない。絵に描いたような恋を掴もうとする自分に、恋に焦がれているだけだと俯瞰している自分が冷たく指摘する。
盲目にはなれなくて、恋のほつれが見えてしまうけど、それでも好きだと言っていいのだろうか。
なぜ泣いているのか、私にも分からない。
いつになっても私のことを
好きでいてほしいけど
そんなワガママばかり言う私は
ちょっと ズルいかな
ダメかな 嫌かな
私のことを嫌いになってくれることを期待して、「さよなら」を告げることになるのは分かってるけど、シワシワな笑顔とかすれた声で笑い合って、朝から晩まで身体を絡めあって、いつまでも好きだと言って欲しい。
自己中心的に進む恋愛とこの先の不安が
混ざり合って 抱き合って
満たされて 幸せで
大好きで ちょっと嫌いで 今がある
この先ずっとこのままではいられないし、だけど愛しい時間を自分から手放すこともできない。シュガーをたっぷり入れたクリームみたいな甘さと、たまに感じる煮詰まった苦い苦いコーヒーが混ざって、混ざって、抜け出せない今がある。
あいみょんの曲は恋の曲が多いけど、喜怒哀楽色々な表情を持っている。純度の高い恋だけじゃなくて、混ざり合った等身大の恋愛を繊細に描写する。
綺麗じゃない、胸を張れない、お伽噺でもない恋愛を堂々と歌ってくれるあいみょんに、どこか皆救われている。どんなカタチの恋愛でも良いのだと、そっと肩を押し、肯定してくれる。だからこそ、私たちは彼女の曲に魅せられるのだろう。