神経活動パターンが違うと生じる感覚が変わる?(2020年6月Neuron掲載論文)
体性感覚(痛み、かゆみ、触覚、温度感覚など)にあまり馴染みがない人には、かゆみと痛みはよく混同されるが、実は両者は全く異なる感覚である。体性感覚の中でも特にかゆみのメカニズムの解明は遅れており、かつては「痛みの神経が感じる弱い痛みがかゆみである」と考えられていたほどである。
2007年になり、ガストリン放出ペプチド(gastrin-releasing peptide:GRP)とその受容体(GRP receptor:GRPR)が脊髄後角でかゆみ情報を選択的に伝達することが示されたことがかゆみ研究の大きなブレイクスルーとなった。
それ以降、かゆみ刺激を特異的に伝達する神経が次々と報告され、現在ではかゆみはかゆみ専用の、痛みは痛み専用の神経回路によって伝達・処理されている(こうした考え方をラベルドライン説という)ということで基本的には整理できると考えられていた。
今回紹介する論文は、かゆみと痛みの伝達はラベルドライン説だけでは十分に説明しきれない可能性を提示したカナダのマギル大学からの研究報告であり、タイトルは「Differential Coding of Itch and Pain by a Subpopulation of Primary Afferent Neurons(一次求心性神経亜集団によるかゆみと痛みの区別的符号化)」だ.
2020年6月にNeuronに掲載された論文であり、1年以上経った今あらためて紹介するのはかなり旬を逃している感じもあるのだが、非常に重要な論文であるので紹介することとした(ちなみに、Pain research forumの情報によると2020年の痛み・かゆみ関連の論文で閲覧数No.2の論文であるらしい)
この研究ではクロロキン誘発性のかゆみを伝達するMrgprA3陽性神経を化学遺伝学的手法(hM3Dqを利用)と光遺伝学的手法(ChR2を利用)で刺激した際に、前者の手法ではかゆみ行動を引き起こしたが、後者の手法ではかゆみ行動とは種類の違う嫌悪行動(vocalization, escaping, and attempts to bite the light source)をそれぞれ誘導することを発見したことに端を発している。
これまで多くの体性感覚研究者がMrgprA3陽性神経=かゆみ伝達の神経という理解をしていたと思われるが、驚くべきことにそのような理解では説明できない行動が観察されたのである。
続いて、マウスの頬のMrgprA3神経をhM3Dq, クロロキン, ChR2でそれぞれ活性化させた際の行動を定量化したところ、hM3Dqとクロロキン刺激では頬を後肢で掻く行動が頻繁に起こり、ChR2で刺激した際には頬を前肢で拭う行動が頻繁に観察された。この行動実験はかゆみ研究では定番の実験で、マウスは頬がかゆいときには後肢で頬を掻き、頬が痛むときには前肢で拭うという面白い行動の違いを示すのである。その違いを利用することで、生じた感覚がかゆみであるか痛みであるかを研究者は推察するのである(動物は痛いとかかゆいとか言ってくれないので・・・)。
化学遺伝学的手法や、光遺伝学的手法による神経の活性化は、あくまでも人工的に無理やり作り出した神経の活性化である。このような、神経刺激の違いによる感覚の違いが、マウスの感覚神経に内因的に発現している受容体を刺激したときに生じうるのかどうかを調べたところ、P2X3受容体のリガンドであるαβmeATPの投与で生じる痛みが、MrgprA3神経の選択的な不活性化により有意に抑制されることを見出した。
また、MrgprA3神経由来のかゆみと痛みの伝達には全く異なる神経回路が関わっていることを特定した。薬理学的な実験により、MrgprA3神経由来のかゆみは前述したGRP-GRPRによる神経回路に伝達されること、一方で同回路はMrgprA3神経由来の痛み伝達には関与していないようである。MrgprA3神経由来の痛み伝達にはMu オピオイド受容体シグナルが関与し、同シグナルはかゆみの伝達には関与しない。
以上が主な結果であり、神経がどのように痛みとかゆみを符号化しているかについての理解が深まった面白い論文である。昨日紹介した論文もそうだが、同じ神経でも活動パターンの違いで異なる生理現象や行動を引き起こす可能性がある。化学遺伝学的手法は光遺伝学的手法と比べて使用が簡便(光ファイバーの留置が不要)なため、化学遺伝学的手法のみで神経活動制御をしてしまうこともあるかと思うが、気を付けないと神経の機能のごく一部だけを切り取って解釈してしまう危険性がある。本研究は体性感覚研究の分野のみならず、多くの神経科学分野において重要な知見を含む研究であると感じた。