おちつけ、落ち着け
社会人になって何年かしたある時、中学生の頃から仲が良い友達が京都に遊びに来た。彼は一浪して地元の長野から京都の大学に進学してきて、先に京都に来ていた私にとって少ない同郷の友達であり、たまに会って食事をしたりして昔話や今好きな子がいるとかいないとかそんな他愛ない話をする仲だった。
彼は、一旦は就職したけれど職場になじめず一年持たずに退社。遊びに来たその頃は、少し心の休憩をしたのち公務員試験を受けるために専門学校に通っていたところで、休みを使って大学時代の友達と会うなどいろいろ予定を組んできていて、勝手知ったる私には夕方に突然連絡をしてきてその日の夜に会った。陽気からして、ちょうど今くらいだったと思う。春先で日差しは暖かいが風が吹くとひんやりとする時季だ。
喫茶店で落ち合ってひとしきりお互いの近況を話した後、話の前後は覚えていないけれど、彼がいきなり、
「お前もわかる?!春の匂い!」
と言った。
うん、わかるよ春の匂い。
この季節になると匂いするよ、春の。プンプンするじゃん。
みんなも思ってるんじゃないかなーというのが私の感想だったけれど、そんなに目をキラキラさせて「お前も」とか言われると特別なことのように思えてきた。
そのあとも、「そーかー、お前もわかるかー、春の匂いー」なんて感じで共感できたことに一人で喜んでいるご様子。
たしかに、春の匂いしてきたねーって誰彼構わず言わないなあ。話題にのぼったこともないかも。言ったとしても「匂いなんてしないよ」と言われるかもしれないし、同感だとしてもそのあとの会話が弾む気がしない。実際に今そんなに弾んでないし。それ以前に、春の匂いの話なんてどう切り出したらいいかわからない。
これは、長年の付き合いと相性のなせる技なのかもしれない。
幼なじみと言うほど小さな頃からの仲ではないけれど、特に気を使わなくてもスッとお互いに都合がつくことや、長い話も苦痛でないし、合いの手も気にならない。
逆に、どんなに会いたくてもなかなか日時が決まらなかったり、約束できても当日に不慮の事態でキャンセルになったり、近くに住んでいてもばったりでさえも会わない人がいる。あと、相槌のタイミングがなんかイヤ、とか。
彼とはそういう仲なのだ。「春の匂い仲間」。
その彼は、勉強の甲斐あって我々の地元の役所で働いている。チョー面食いのせいか婚期がなかなか来なかったけれど、数年前に結婚して、お子さんも産まれたそう。
私が出産した時には私の好みなんか知らないのにとても美味しい和菓子を送ってくれた。それも数年ぶりのやり取りなのにだ。そういう人である。
今朝、娘を保育園に送って行く時に、空を見上げたらツンと春の匂いがした。空では風に乗った雲がちょうど太陽を隠している。
自転車のカゴと運転席の間に付けたシートに座る娘の頭が、私の顎に当たりそう。風に揺れる髪の毛がくすぐったい。もうすぐ4歳。
あなたが産まれるずっと前のこの時季に、私は「春の匂い」を共感できる昔からの友達の存在を知ったのだよ。
先日、あることが急に止まり、別のあることが動き出した。
プライベートも仕事も、両方のいろいろだ。
ドキドキするのだ、不安で。
春はいつも多少ドキドキする。でも今回は特別ドキドキする。
冷静になるまで時間がかかる私の悪い癖だ。
おちつけ、おちつけ、おちつけ…
春の匂いは、きっと私を救ってくれる。
ああ今日春の匂いしたなって、いいことあったなって。
そう信じている。
さあ、深呼吸だ。
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