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回想:食料自給率と「食べ残し」問題

「39%」
この数字だが、最近に新聞やTV報道などで盛んに伝えられるので、すっかり定着した感がある。
話題となっているわが国の「食料自給率」を示す数字だ。
注:本文における「39%」とは2008年6月当時の拙ブログによる)

最近のTV報道番組の中で、コメンテーターの誰かが
「わが国の4割程度の自給率で…」
とコメントしたら、司会者から
「正確には、カロリーベースで39%です」
と言い直されていて、思わず笑ってしまった。
そこまで言うのも、どうかと思うけれど。

さて、ここではカロリーベースで云々と、受け売りの講説をするのは止めにするとしよう。ただ、大いに気になった一件がある。それは関連する報道の中で「食べ残し」の問題が取り上げられていたことだ。

つまり、自給率を高める方法、対策として「食べ残し」の再利用が考えられるとのこと。
「食べ残し」を家畜のエサにすると飼料作物の輸入が抑えられることになり、最終的に計算上の自給率が向上するという理屈であり、説明だった。
主に外食産業や食品メーカー、コンビニなどの小売から排出される食料関係の廃棄物は、その量にして1千万トン超と言われている(当時)。聞いただけではピンと来ないが、そのうちで再利用されているのは半分程度という話だった。
だから、その残りの半分をさらに有効に利用する、というわけだ。

※最新の統計資料(政府広報オンライン:2021年5月19日)によれば、わが国の食品ロス(2008年当時は当用語はなかったと記憶している)は年間600万トンとされている。先の1千万トンについて当時に出典を明らかにしていないので、絶対値で比較してよろしいかについて、ここでは結論できないが、当時に比較したら約4割の削減という結果になって表れている。

しかし、ここ問題になるのは処理コストのこと。
これまでどおり、埋め立てたり、焼却処分する方が処理コストを低く抑えられるので、「有効利用」のためには相応のコストを負担しなければならない。
もちろん、この場合のコストを抑制する技術や仕組みなどが今後に研究され、具体化されると思うが、ただ現時点で単にコスト比較すると、従来方式つまり再利用ではなく廃棄する方法が優るわけだ。

店の食品棚から期限切れを理由に、撤去される「元食料品」をみていると、もったいないと切に感じる。
法的な、あるいは自主的な基準に基づいて、それを処分することはコンプライアンス遵守という観点からして異論を挟む余地はないが、その先の処理方法には知恵の出し処があるのではないか。

※別の議論だが、基準を定めるのも私たちなわけで、その基準が適切か否かの見直しも必要であろう。ただ基準が厳しければいい、というものでもあるまいに。そうした基準(主に製造から販売、消費者が消費するに至る期限の問題かと思う)の厳しさを前面に、一義的に顧客満足度向上に資するためを企図する過剰サービスと、そのサービスにおける企業間競争にも目に余るものがある、そう消費者のひとりとして感じることがある。

ずっと昔のこと、1960年から70年当時の頃の記憶だが、私の実家の近所には豚を飼っている農家があった。そこのご主人が定期的(ほぼ毎朝)にわが家から出された残飯を回収に来ていたことを思い出した。飼育の頭数など不詳だが、わが家だけではなくご近所一帯を何度か往復して、一輪車に乗せられる程度の何本かの一斗缶に集められるの精一杯の量だったと思う。それの残飯さえも、集めて餌とする、ほんの限られた地域のシステムがあったわけだ。システムなどと記すと大袈裟だが、わが家もご近所も、そして養豚農家も、行政も、みんな助かっていたんだと思う。

この記憶にある残飯回収のことは、随分と昔のことだから、この飽食ともいわれた時代を背景とする「食べ残し」の問題となる量や排出の背景たるや、全く性格が異なるかもしれない。そもそも、当時の一般家庭から出される生ゴミは食物屑などが多くを占め、食べられるのに捨てるという意味での「食べ残し」はほとんど無かったのでは、という印象だったから。

そうした食物屑でさえ、家畜のエサに回れば自給率の向上に寄与する構図なのであるならば、今日の「食べ残し」の問題に対する寄与は殊更であろう。

一方で、別の記事では大手スーパーのイオンが千葉県下で開始した取り組みのことも読んだ。
県下25店舗(注:2008年当時)から出る弁当や野菜屑を飼料にして育てた豚を関東地方で売り出すという取り組みだ。
そういえば、私の家の近くにあるイオングループの店舗では、かつて同じ材料からだと思うが「堆肥」を作って、無料で配布していたことを思い出した。カレーの香りする肥料を貰ってきたことがある。
そのときは、生ゴミの減量への取り組みという企画だったと思うが、こうした食料品の加工や流通に関係している企業の取り組みが与える影響は大きいであろう。

まずは、食べ残しを少なくする、究極は「出さない」という取り組みが必要なのだろうが、それとともに不可避な「食べ残し」を前提とした、その有効な利用が求められている。

<完>

注:2008年5月3日に投稿した私のブログをベースに加筆しました。

追記:10年以上も前の自らの文書を読み返してみて思うこと。その当時にアル・ゴア元アメリカ副大統領のノーベル平和賞の受賞理由に「地球温暖化」の問題提起が象徴的だった。また、近年のSDGsへの社会の取り組みと関心の高まり(個人的には熱しすぎ、熱されすぎの感想)を観ると、わが国の食料自給率の問題など、大半の問題と解決に向かうべき方向性が提起されていたことと感じている。以上。

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