「理性と感情の役割について。」という文章を書いてみた
こんばんは、トモネコです!
今日は月曜日でしたね。
私は朝からスキマバイトに行ってきました。
昼前からの開始で、
年末によく行っていた仕事先の場合に比べて
少しだけ遅めの出発時間でしたが、
前日に少し遅くまで起きていたので、
それなりに朝は慌ただしかったです。
家を出た直後にGoogle Mapなどで、
京阪線が遅れていることを知り、
遅れるかと思いましたが、なんとか間に合いました。
明日もスキマバイトがあり、朝からですので、
今回のnote投稿の作業は軽めにしておきたいと思います。
普段から使っている
Emacsというテキストエディタを使い、
思いつくままに書いた「理性と感情の役割について。」
という文章をお届けします。
(実際には、書いた後にnote用に若干の修正を加え、見出しをつけています。)
理性の持つ意味は自制心だけではない
理性は大事です。
もしも理性がなければ、
私たちの社会の秩序はあり得ません。
ただ、そういう、人間社会の秩序を
実現してくれている自制心というような、
モラルなどの観点からすべきことをする/しないべきことをしない
ということを可能にするのが理性の役割である、
というのももちろんその通りなのだけれど、
それ以外の役割もあるように思います。
感情の役割と弱点
感情というのは、
私たち人間の中の深い部分の望みを
教えてくれるものです。
でも、ときには自分が何を本当に望んでいるのかということは
見失うもの。
また、行動を起こそうというときに、
自分のやったことの結果がどうなるかは、
感情では予想ができません。
あるいは、起きた結果が何を意味するのか、
解釈しきれないということもあるでしょう。
例えば、何か親切をしてあげた相手の反応が、
今ひとつ薄かったりしたら、
本当のところどう思われているのかとか、
不安になったりとかします。
感情のサポートとしての理性の役割
このように、感情では判断ができないことに関して、
情報を整理して、
自分の本心の望み(感情の望み)に、
現実を近づけていくこと、
そのための行動を判断し選択することこそが、
理性に持たせるべき役割なのです。
以上です。
お読みいただきありがとうございました!
ちなみに、
Chat GPTにこの文章を読ませたら、
わりと褒めてくれました。