“鹿の角”の中から「カタツムリ」と「柄杓」を
●鹿の角の「す(鬆)」
縄文の頃より、釣針やモリなどに加工し生活の道具として利用させてもらっていた“鹿の角”ですが、遺跡の展示品として飾ってあるいにしえの「釣り針」や「モリ」を目にするたびに、
『この部分に「す」が見れるということは、おそらく鹿角のあの部分をこんな角度でこう材料取りしてるのでは…』
などと、太古のロマンに浸らずに現実的でマニアックな想像に耽ってしまうのは根付師の性(サガ)と言ってよいかもしれません。
鹿の角には、「す(鬆)」と呼ばれている細かい不規則な編み目のようなスポンジ構造の空洞があります。
生物学的な詳しいことはわかりませんが鹿の角が大きく成長するのに必要な血液を通すために空洞になっているらしく、「す(鬆)」の穴の大きさや面積そして色調は個体によって異なっているので、角を切ってみないとその内部占有率は分かりません。
※注:根付にたずさわる人々の間では「す(鬆)」と呼んでいることが多いですが、もしかすると他の分野ではまた違った名称で呼んでいるかもしれません…
↑ 鹿の角。外観からは内部の「す(鬆)」がどのあたりにどれだけ入っているか判断できないのが厄介でもあり、また面白くもあります。
↑ 鹿の角の断面。中央のスポンジ構造の穴の部分を「す(鬆)」と呼んでいます。
↑ 鹿の角の縦割り面。スポンジ構造の穴の大小や粗密加減、そして面積も場所によって不規則に変化しています。
この「す(鬆)」、空洞が妙に大きかったり、穴だらけでスポンジのように柔らかいと思いきや結構硬質で強度がある箇所もあれば、思いのほか柔らかくグズグズの箇所もあったりと加工をする側としては予測不可能な曲者でもあるのですが、この「す(鬆)」の特質を生かすことで他の材料では出しえない味わいを表現することができるのです。
●差し根付 『 雨あがり 』
ある雨上がりのひと時、
たっぷり水を含んだ朽ち果てた柄杓の上で
のんびりと安らいでいる大小のカタツムリ
そんなイメージを鹿角を使って“ 差し根付 ”として表現したのがすでにブログで紹介しているこちらの『雨あがり』という作品 です。
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十数年前に訪れた奈良の小さな寺社の木影にひっそりと佇んでいる苔むした小さな手水鉢。そこに置かれていた朽ちかけた柄杓(ひしゃく)がなんとも言えない風雅な趣で、このイメージを“差し根付”で表現できたらと思い、帰りの新幹線車中で愛用の「らくがき帳」にイメージを描きとめていた記憶がこの記事を書いているうちに蘇ってきました。
当時描いたイメージスケッチがとってあるはず…と、いったん記事を書く手を止め仕事場に置いてある未整理状態の“ イメージスケッチ保存ファイル” から探し出したのがこちら。↓
実際彼の地で目にした柄杓にカタツムリの姿はありませんでしたが、この時のイメージスケッチにはすでに2匹のカタツムリが描かれ、かつ作品題名の候補も三つ書き込まれていたことに自分でもびっくりです。
おそらく作品が完成した後、三つの候補から「雨あがり」を題名として選び二重カッコにして花マルを書き加えたのだと思います。
●「す(鬆)」を生かした材料取りが更なるリアル感につながる
さて、イメージがしっかり頭の中に入った後は、「材料の選択」と「材料取り」です。
“柄杓”の差し根付を創りたいとイメージした時点で、材料は「鹿の角」と無意識に決まっていました。
「差し根付」でも、帯に差すタイプではなく、帯の上下に何かしらの彫刻部分が顔を出して帯を挟みこむタイプの構図ですので、まず帯の幅プラスαの長さが直線で取れるサイズの鹿の角を探します。
その上で、片方には柄杓の合(ごう)と呼ばれる水を掬う曲げ輪っぱの桶の直径が取れる幅が必要となるのですが、基本的に角というのは丸い円柱状ですから、角の最初の枝分かれ部分が幅広になっている角でなくてはなりません。
おっ、これはちょうど良さそう!と思って選んでも、切ってみると中心の「す(鬆)」の部分が大きすぎて柄杓の「柄」を彫る厚みが取れなったり、平な部分の「す(鬆)」がグズグズでとても合(ごう)の曲げわっぱを立体的に彫ることができなかったりで、結局使えそうな一本を見つけ出すために何本もの鹿の角をカットしなければなりません。
本物の柄杓は柄の部分と水を掬う桶の部分は別々に作って差し込んでいるのですが、根付は強度的な観点からも一つの塊から彫り出して作る【丸彫り】と呼ばれる “一体“ものですので、下図のような完成形の柄杓そのままが彫り出せる材料が必要となるわけです。
↑「この根付は、柄杓の柄と輪っぱ部分を別パーツで作って嵌め込んでいるのですよね…?」という質問が思いのほか多かったので、このように鹿の角の中から一体で彫り出しているのですと説明するために後から描いたイラスト。
ちょうど良い材料が見つかった後は、「す(鬆)」いかに利用して趣ある“朽ちかけた”感をだすか、カタツムリの位置や輪っぱの大きさを微調整を繰り返しながら決めていきます。
↑↓「す(鬆)」の大きめの穴を利用することで、いかにも“朽ちて自然に空いた輪っぱの穴”のように違和感なく創り込み、
↑あたかも輪っぱに後から柄を差し込んでいるように見せるよう、枝分かれの幅広の部分から小さいカタツムリごとくり抜きながら彫刻していきます。
↑大きいカタツムリの1番の難関は、カタツムリの2本のツノの強度。この部分は帯の下になって帯の圧力を受けるところなので、角の先端が飛び出た状態だとすぐに引っかかって折れてしまいます。
そこで、材料取りの時点でカタツムリのツノが鹿角の硬質な部分で彫れるようにし、且つツノの先端を違和感なく柄につながるようなフォルムにすることでカタツムリの特徴を生かしながら実用に耐えられるよう考えに考え抜いた結果がこちら。
↑鹿の角の「す(鬆)」のグズっとした部分をあえてカタツムリの頸(クビ)の部分になるように彫ることで、あの独特の肌の質感をよりリアルに感じさせ、
↑ヒラヒラとした足の部分を硬質な角の部分で彫ることで、まるでこのカタツムリが細い柄杓の柄の上をゆっくり前進しているかのような錯覚を感じさせます。
↑カタツムリの殻の半分を「す(鬆)」の部分にすることで、長い年月を生き延びてきた貫禄と存在感を醸しだします。
↑乾燥を防ぐために殻に閉じこもっていた小カタツムリ。雨あがりでしっかり水気を含んだ号の中で、安心して殻から顔を出し始めています。
↑画像では分かりにくいですが、合(輪っぱ)に差し込まれた先端部の下は底板から浮いているように彫り抜いてあるので、そこに紐を通すことができるのです。
●「根付」の使い方って?
「差し根付(さしねつけ)」と言われても、一体どのように使われる根付なのか、「根付」とはどう違うのか、実際の装着方法をイメージできる方はこの現代においてはそう多くないと思います。
そもそも「根付」ってどのような使い方をするモノなのかを、ざっくり簡単にイラストに描いてみるとこんな感じでしょうか↓
根付は「巾着」や「印籠」、「煙草入れ」などの【提げもの】を腰に提げて携帯する時、キモノの帯に引っ掛けて留めるストッパー的役割の『留め具』で、
腰に提げて使う3点セット「根付」&「緒締(おじめ)」&「提げもの」の一部を担う実用品なのです。
ちなみに「緒締(おじめ)」は今で言う “コードロック” なような存在で、提げ物を使う時に上下にスライドさせ紐を絞ったり緩めたり調整する役割をします。
●「差し根付」はどう使う
①まずは一般的な「根付」を帯に装着した時の断面図&正面図 ↓
※帯の幅は今で言う男帯(角帯)で幅は10〜12cmぐらい
②そしてこちらが、今回の「差し根付」『雨あがり』を装着した時の
正面図&断面図イラストです。↓
③「差し根付」でも、“キセル筒”のように帯に差し込むだけというタイプもあるので、参考までに勢いでイラスト描いてみました ↓
差し根付『雨あがり』のおかげで、意外と知られていないマニアックな鹿角の「す(鬆)」の話から根付の使い方までザックリ熱く?語ってしまいまいましたが、この記事で少しでも根付に興味を持っていただければ嬉しい限りです!
根付の種類は他にもいろいろあるので、また少しずつ 写真 & イラスト多めでわかりやすく語っていきたいと思います。
● モデル 紹介 我が家の 「ツムちゃん」
差し根付『雨あがり』の大きいカタツムリは、我が家の玄関先のポストの植え込みに暮らしているこの写真の「ツムちゃん」がモデルです。
カタツムリ好きの方はこの写真↑を見て、んっ?となると思いますが、そうなのです!ツムちゃんはヒダリマキマイマイなので、差し根付の大カタツムリとは貝殻の巻きが逆なのです。
イメージスケッチを描いて構図を決め、まずは荒彫りを進め、いよいよカタツムリの細かい彫刻に入る時に、そうだツムちゃんの姿を参考にしようと写真を見たところなんと巻が逆で、ヒダリマキマイマイだったことに気がついたのです。
巻きが真反対でも、肌の質感や足の動きなどツムちゃんを撮った写真を参考にして彫りましたので、モデルとしては大満足です。
残念ながらここ2年ツムちゃんの姿を庭で見かけることがありません。。。
直径は3cmほどの殻に一箇所ヒビのような傷があるため毎年同じ個体だと確認できていました。
最近はタヌキも出没するので、ツムちゃんの安否が心配でなりません。どこかで元気に暮らしていることを願うばかりです。
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