根付師 陽佳 YOKA Mukaida
昭和の極ごくフツーな家庭の「日常キモノ」のアレコレを根付師目線で少しずつ書き留め残していきたいと思います。
ブログに載せきれない作品画像や細かい説明、そして作品にこめる思いや“こだわり”など作品にまつわるアレコレを、自分で撮った作品の記録画像と一緒にnoteに書き留めていきたいと思います。 ●着物のシワにこだわる子供の頃から「きもの」が生活の中に普通に存在していたせいか、気が付いたらかなりの着物好きになっていました。 両親とも “ 家着 (いえぎ) ” として普段着の「きもの」を普通によく着ていたものです。 父は会社から帰宅するとスーツを脱いで冬は「ウールの着物」に、夏は「木
本日のキモノのお品書き 〜 壱ノ二 《内装篇》 〜 ●単衣の長襦袢 ← 叔母の手作り ・流水に秋草?柄の正絹の絽縮緬と薄水色の絞りよ絽縮緬をつなぎ合わせた単衣の長襦袢。 おそらく五十年近く前に叔母が着古した自分の2つの長襦袢をバッサリ切ってつなぎ合わせて再生させたものだと思うのですが、とにかく軽くて柔らかくて初夏から秋口にかけて一番着やすいお気に入り1枚です。 ●半衿 ← 自分で染め直しリメイク これは、叔母達から貰い受けた古い長襦袢で、さすがに着れないものを解いた時の
本日のキモノのお品書き 〜 壱ノ一 《外装篇》 〜 ●単衣の長着(ながぎ) ←自分で縫った 【青海波小紋のシルクウール】 和裁を習っていた20数年前に、初めて母用に縫った単衣の長着。 母は軽くて暖かくて着やすいウールの単衣が欲しいとの事だったので、長年箪笥に眠っていた鮫小紋柄のシルクウール(手触りからおそらくシルクも入ってるかと)の反物を使って単衣仕立てを習いました。 肩当てと腰当ては、滑りがよく着心地が良いからと和裁の先生に勧められてた洋風用の裏地「ベンベルグ」を着物
「サザ◯さん家」のような家でしたので キモノは日常着 物心ついた時からごく普通に父も母も家でよくキモノを着ていました。 と言うと、何か伝統芸能に携わる家?由緒ある家?みたいに思われがちですが、ごくごくフツーの昭和のサラリーマン家庭です。 昭和8生まれの父(道産子)と昭和12年生まれの母(サシスセソが言えない江戸ッ子)ともに、冬の間はウールの着物を家着として着ていました。 父はごくフツーのサラリーマンなのでごくフツーの背広姿で会社に通い(さすがに波平さんやマスオさんのような
《 後編 2017年〜2022年 》●2017年 ピンクアイボリーの眼を持つ白兎。 「ぶらり」とも呼ばれる着物の帯からブラブラ提げて使う“提げ飾り”です。 ●2021年 白兎の鈴を模した根付。“難を転じる”と言われ厄除けの縁起物「南天」を血赤珊瑚で象嵌。 ●2022年 青竹の上に乗る雪兎。眼には南天の実、雪の結晶を身にまとう。 ●2022年 実はカメのことが大好きな 「うさぎ」。 亀と紐で繋がってはじめて一つの根付として意味を持ちます。 他にもうさぎをモチーフにした
《 前編 2004年〜2013年 》●2004年 根付の工程見本用に創った“可愛くないうさぎ”。 今でも根付の講義や講演で活躍する作者愛蔵の根付。 ●2008年 手鞠と遊ぶモフモフの耳長うさぎ。うさぎ自身も鞠のようにコロンとしたフォルムに。 ●2009年 血赤珊瑚の眼が可愛い跳ねうさぎの帯留 ●2010年 黒兎を大黒様に見立てた縁起の良い根付。白い袋を背負っている姿が可愛い。 ●2010年 紅い眼をした白い耳長うさぎ。立ち姿が美しい。 ●2010年 宝珠をお腹の下に
いよいよ終盤、完成までの過程を画像とともに紹介していきます。 ●制作過程を画像で追う ㉔〜㉚完成前回、序盤編は鯉の眼玉の象嵌の埋め込み穴を彫って仮組みして終わりましたので、彫りを仕上げて本染めをして完成させます。 ㉔ 人物の目を彫り、鯉と目線が合うよう瞳の位置を決めていく ㉕ 着物の柄や、人物の髪の流れを慎重に少しずつ彫り込んでいく ㉖ 最後に鯉の全ての鱗(おそらく300枚近く…)に細かい模様を彫り込んでいきます。 が、彫りに集中しすぎて写真を撮らずに本染に突入…
序盤編に続き、歌舞伎の演目「鯉つかみ」を根付にするまでの中盤編は、仕上げ彫りから象嵌の過程を画像で紹介していきます。 ●制作過程を画像で追う ⑱〜㉓前回 ⑰ 左刃を使って仕上げ彫り〜鯉のウロコの下彫りから「さあ、ウロコの本彫りへ!』とすすめる前に、重要な確認&インプット作業をしなければなりません ⑱ 胸ビレを掴む「手の動作」を自分の手で確認する ⑲ 腕の筋肉構造を意識しつつデフォルメさせながらウロコも彫り進める ⑳ 細部の彫りに入る前に “ 左刃 (ひだりば) ” の
● 注文からラフスケッチまで① 歌舞伎の演目 『鯉つかみ』の根付を創って欲しいとご注文をいただく ② 「鯉つかみ」の浮世絵や「鯉」の資料をひたすらかき集める ③ 資料を凝視して頭の中にそれらの映像を叩き込む ④ 「鯉つかみ」と「鯉」で脳内が飽和状態になりしだい 『根付』のカタチにデフォルメする ⑤ 脳内で出来上がったイメージをいそいで落書き帳に描きうつす ● 制作過程を画像で追う⑥材料の切り出し ⑦ 粗彫り〜その1 ⑧ 粗彫り〜その2 ⑨ 粗彫り〜その3 ⑩
気高く清らかな蝉は「露」を糧とする蝉は羽化したあとは何も食べずにいると昔は思われていたらしく (実際は木の樹液などを吸っているのですが) “飢えても俗世の食べ物を口にせず「露」だけを糧にして生きる気高い生き物”→【信念を変えず気高く高潔な心を持つことのたとえ】として この 鳴蝉潔飢 という言葉ができたと言われています。 また蝉は幼虫の姿で地中で何年も生き続けたのち、地上に出て羽化して成虫となるので、実は幼虫の姿の方がその生において長い生き物でもあります。 そんな神秘的
“ 福ら雀 ” ならぬ「福らつばめ」「つばめ」は日本でも昔から縁起の良い鳥として親しまれ、着物などの紋様や装飾図案にも好んで使われていますが、どちらかというと尾羽がスラリとしたシャープなフォルムで描かれています。 やはり縁起の良い鳥の図柄として昔から好まれているのが「福ら雀」。 寒さの中、羽を膨らませたコロンと丸いその姿が、食べ物に困ることなく丸々肥えているように見え、それが豊かさと子孫繁栄のシンボルと考えられたようです。 丸くデフォルメされた「福ら雀」は根付の図柄としても
もの心ついた頃から「将棋の駒」はとても身近な遊び道具でした。 幼稚園の頃はなんと言っても “ 将棋くずし ” と “ はさみ将棋 ”が大のお気に入りでよく父に相手をしてもらっていた記憶があります。 正当な「将棋」は、父と兄が指しているのを横でじっと眺めていただけなので、なんとなくルールがわかるようなわからないような… ただ、それぞれの駒の文字と動きがまるで生き物のようで、横から盤上の動きを眺めているだけでもワクワクしたものです。 時代劇好きの親の影響かしれませんが、「歩兵
ジローに出会ったのは残暑厳しい9月初旬のある日、一目惚れであった。 照りつけるアスファルトの上、二三歩彼の横を通り過ぎたがすぐに引き返し、まじまじとその容姿を見つめてしまった。 抜群のプロモーション、嫌みのない色艶、文句のつけようが無かった。 実はその時すでに彼には先約がいたのだが、強引にそのライバルを振り払い、彼を奪い取って足早に帰宅した。 凛々しい瞳、逞しい胸、すらりとシャープな手足、見れば見るほどうっとりしてしまうが、やはり先約が開けた穴がどうにも気になる。 一歩先
●スパイスが取りきれない…数年前から「スパイス」使いにすっかり夢中になり、カレーはもちろんお茶からお菓子作りまで色々なスパイスを活用して楽しんでいます。 当初は、パウダー状のスパイスを各種取り揃えていましたが、段々とホール(粒状)を使う直前に砕いたほうが香りや風味が良いことを実感し始めとうとう“スパイスグラインダー(スパイス潰し)”を購入し、粒々を砕くという行程から楽しんでいる毎日です。 が、使っているうちに一つ気になる点が… 砕き終わったスパイスがどうもすっきりとスパイ
●鹿の角の「す(鬆)」縄文の頃より、釣針やモリなどに加工し生活の道具として利用させてもらっていた“鹿の角”ですが、遺跡の展示品として飾ってあるいにしえの「釣り針」や「モリ」を目にするたびに、 『この部分に「す」が見れるということは、おそらく鹿角のあの部分をこんな角度でこう材料取りしてるのでは…』 などと、太古のロマンに浸らずに現実的でマニアックな想像に耽ってしまうのは根付師の性(サガ)と言ってよいかもしれません。 鹿の角には、「す(鬆)」と呼ばれている細かい不規則な編み
「鱗」という文字そのものの造形にも惹かれるのですが、一枚一枚ポリポリと鱗を彫っていくという行為になぜか筆舌に尽くし難い魅力を感じてしまうのです。 果たしていつ頃からその魅力に取り憑かれているのか… ということで、根付を創り始めた初期作品からの記録写真を遡ってウロコ狂のへの軌跡を辿ってみようと思います。 ●2004年の「ウロコ」“鯉のぼり”の真鯉と緋鯉をモチーフにした根付。真鯉は立ち姿、緋鯉は寝そべる姿で擬人化し、あえて鯉のぼり風にデザイン化された 「鱗」。 この頃はま