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「長靴をはいた猫」こそ、知識労働者の鏡である3(エージェント問題)

Le Maître chatこと「猫の親方」 ou(=あるいは) le Chat bottéこと「長靴をはいた猫」
Maître(仏)には親方,主人という語であり,転じて校長,教師といった意味をもつ。エージェント問題というのは、この猫の親方は、粉挽農家の三男坊というプリンシパル(主人、もしくはクライアント)に対してのエージェント(代理人)という立ち位置となる。猫をエージェントとして認識すれば、対処策は見えて来るであろう。

さて、この猫の親方、あなたが「猫の親方」の主人であれば、この上ない頼りになる味方だが、敵に回せば、厄介この上ない恐るべき存在となる。

スチュワードとしては、自分のクライアントが「猫の親方」の餌食にならぬように対処する方策を考えねばならない。

餌食となったもの・・・ウサギ・「鷓鴣(シャコ)」・人食い鬼【ogre(オーガ)】

餌食となったウサギにならない教訓:エサ(利益)に釣られない
猫の親方は、麩と野芥子というエサで、世間の恐ろしさを知らない若い兎を捕らえて、撲殺し、王様(有力者の象徴)へ取り入るための貢物にするのである。鷓鴣も同じで、ザイアンス効果(相手にとって有意義な会合回数を増やし、信頼関係(ラポール)を構築する)を狙い、アポ回数を増やす口実のため、兎と違った貢物対象となってしまった。

餌食となったogre(オーガ:人食い鬼)のようににならない教訓:相手を侮らず尊大になって手の内をさらさない、相手の土俵にのらない

猫は持ち前の勇気と知恵で、人食い鬼のオーガに怯むことなく、自分が有利になるように持ち込む。オーガは猫如きにやられる等とはこれっぽっちも思っていない慢心につけ込まれたのだ。人を食う鬼が、食われる人に飼われている猫に自分が挑まれる等とは想像もしていまい。その心理的盲点を突く猫の親方の機知も凄いが、それ以上に凄いのはその勇気だ。アタマでストーリーを描いても、相手に見破られずポーカーフェイスを貫き、達成するのは相当なタマ(心臓)がないとできない。
後は、人食い鬼というのは、おそらく高利貸しや悪どく搾取する徴税請負人をイメージしたものであろう。猫がもし、善人の大金持ちから領土を奪い取ったら物語として成立しない。しかし、詐欺師を喰らう詐欺師であるクロサギのような猫の親方であるから物語として成り立つ。あくどい事をして儲けて蓄財しても、民から(人を食う=搾取)と思われれば、更に狡猾な捕食者の餌食になりるように仕向けられるのだ。やられて当然と思われるようなことは慎まねばならい。

餌食ではないが利用されたもの・・・王様 草や麦を買ってる農民

有力者の象徴である王様も、猫にとっては「カラバ侯爵プロジェクト」の権威付けのためのステークホルダーに過ぎない、猫が創り出した幻想である「カラバ侯爵」に名(名分)を与える役割が王様である。さらに美しい娘も与えてしまう訳だが、征夷大将軍も天皇からの宣下がなければ、僭称や自称に過ぎないが、権威の源泉であり保証者である王様に認知されてしまえば、幻想が現実化するのである。もちろん、実(実在)の部分は人食い鬼のオーガから奪い取った広大な領土だ。

王様に認知されるために猫の親方がとった行動は、草や麦を買ってる農民(これは世論のイメージであろう)の口から、「カラバ侯爵様の土地です」と言わしめるよう算段しているのである。おそらくただの猫では、農民もゆうことを利くわけがない。おそらく、ここで長靴の意味があるのだろう。
何かわからないが、長靴をはいた猫だから普通の猫と違う、王様の関係者かも知れない、言わなければ、猫が本当に王様の関係者であればひき肉にされてしまうリスクが発生するが、言ったとしても損害はないし、大した労力でもない。ならば、言った方がリスクは少ないと判断するだろう。
つまり装いや格好は馬鹿にできないという教訓を引き出せる。
もっともこの教訓は、もう一つの教訓で見た目も重要だと指摘している。それはカラバ侯爵が貧乏粉挽農家の三男坊だったのが、王様が提供した服を着せた時に使われた教訓ではあるが・・

このように猫の親方は、極めてしたたかに知恵が回り、機知や機転も利く。
プロパガンダの才能もあり、人間(と鬼)の心理に通じている。
厄介な敵ではあるが、猫の親方は常にプリンシパル(=主人)である粉挽農家の三男坊の為に頑張っている。かなりの深謀遠慮であるが、ゴールは明確だ。猫の親方のような人物が近づいてきたら、彼を評価するプリンシパル(=主人)は誰か、そのプリンシパルは猫をどういった視点で評価しているのかを考えれば、大きく被害にあうことはないだろう。猫の親方は、何事も用意周到にあらかじめ調査するので、与し易しと判断されなければ餌食にはならないであろう。

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