昭和が残した一言の洒落。
ヘップサンダルの新ブランドを立ち上げたいmuneです。
前回、『ヘップ』の語源についてお話しました。
かのハリウッド女優、オードーリー・ヘップバーンが映画で着用した履物を、親しみを込めてそうのように呼んだということでした。とんでもないワードセンスの持ち主が、「これはヘップ!!」と言い放ったのでしょう。
時を超え、私も言い放ちます。「これはヘップです」と。
("This is HEP." と言い放つまで遠くない未来)
■「これだ、これはヘップだ…!!」
【これ】と誰かが言い出したのにも、私は2通りの歴史の可能性があると推察しています。①プロダクト先行型と、②あと付け型です。
①プロダクト先行型
紛れもなく映画を見た誰かがその後、「これは流行る!」と日本で製造を始めたパターン。草履を製造していた人が閃いたのでしょうか?あるいは、西洋ファッションに敏感だった当時のあるデザイナーが、日本へ持ち込んだのしょうか?
②あと付け型
もともと当時、いわゆる「ヘップサンダル」と後に呼ばれる履物が、日本国内で既に製造されていたパターン。黙々とゴム草履を製造・販売していた人がある日、劇場で「これは…!」と言い残して映画館を飛び出したパターンですね。
(名案を思い付いた彼は劇場を飛び出した)
※イメージ図
いずれにせよ現状、事実が何であるか定かではありません。しかし『ヘップサンダル』の歴史を語る上では、やはり「ローマの休日」は切っても切り離せない存在なのかもしれません。
なぜなら「ローマの休日」は1953年のアメリカ映画。日本で公開が開始したのは1954年です。一方で、日本にはゴム製の履物に関する協会が各地に存在します。その殆どが1950年〜1956年頃の設立なのです。
履物協会の設立と、映画公開時期がニアリーイコールなのは、果たして偶然の一致なのでしょうか?
皆さまのご意見・コメントお待ちしております。