結局なにがしたいんやっけ。
やっけ?
2020年は、激動だった。
2021年は、超激動だ。
ーー2020年ーー
外出自粛という、「家で良い子にしてなさい」命令。家での生活は緩やかに動いているのに、自身を取り巻く状況は、仕事を失い、今までの日々がすべて妄想だったのかと思うくらい、活動(音楽・ライター)ができなくなった。
病気の母は、余生の過ごし方を「旅と音楽に捧げる」と嬉しそうに言っていたのに例に漏れず、制限がある生活を強いられていた。「死ぬまでに旅行にいけそうにないね」と悲しそうに電話越しに話す母に、何度も電話を切った後、泣かされた。
ただ、母はやはり強かった。これはまたいつか書きたい。
時は流れ11月、社会人として生き始めた。母は自分のことのように喜んでくれたが、「音楽ができなくなることは避けなね」と、僕のしたかったことを諦めないように、と助言してくれた。
ーー2021年ーー
年は移り、2月。母はお浄土へと還っていった。
寺生まれがゆえ、死は別れではなく、帰宅と同じように「お浄土へかえる」ということは分かってはいるが、いかんせん悲しい。日々の中で見ていた母の姿や、僕の晴れ姿を嬉しそうに見てくれていたことを思い出すと感傷的な気分になる。
ただ、母は自分の人生を自分で決める選択をした、尊敬すべき人なんだといつも励まされる。僕はそれを見習いたい。母は延命治療を選択せず「あるがまま」を受け容れる選択をしたのだ。
先述したように、ここでは「母の死が悲しい」という話をしたいのではなく、母も自分の人生の旗を自分で振ったように自分は、選択をきちんとできているのかを問いたい。
というかできていない。完全に日々に流されている。
音楽もできていない、活動もできていない。
したいことは言葉だけ並べると無数にある。
ただ、本当にそれがしたいのか、自身がよくわかっていないんじゃないかと思う。そもそも音楽ってなんのためにするんやっけ。諸活動ってなんのためにするんやっけ。帰省した時間をつかって考えてみた。
まったくまとまっていないし、日本語としてかなり気持ち悪いが、僕のしたいことは
「自ら考え、動く主体者という立ち場で、人と関わりながら活動する中で、他者の意見や姿勢を眺め咀嚼し、適宜、柔軟に変化していく姿勢を保ち続けたい」であると気づいた。
まとめると
①分からないを怖がらない(知った気になることを怖がるべき)
→なんとなく「ええやん」をなくす。それってどういうことなん?を大事にする。
②選択ができない人の選択をする手助けをしたい
→案外選択できない人が多い。僕は選択肢を与えたい。
③多方面から考えを吸収していきたい。
④吸収したものは常にアウトプットしていきたい。
さらに一言で表すと、
「表現者であり続けたい。」
あっそうなんや、ってさっき気づきました。
えっ核はどこいったんって話ですが、まとまっていないので華麗に逃げます。言い訳が好きな僕っぽいですが、もう少しじっくり考えて出したいので、お許しを。
皆さんも主体者で生き続きましょう。
そしてくれぐれも、お元気で。