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読書日記①荷風を読む

大学の講義で俳句を2句詠んだ。
題は「冬」。
年も明けたし、もう春じゃないかしらと思う文学部生としての気持ちとこの寒さで春の歌を読む気にはならない現代人の感覚がせめぎあう。
結局当たり障りのない句よんで、評価してくれる方もいたが、まぁそれなりなものだった。

そもそも、俳句というのは何故こんなに不自由なのだろう。 
短歌であればどこまでも自由に詠んでいけるのに、14音減っただけで途端に縛られて身動きがとれないような気がしてくる。

わたしが表現したいものが17音の中に入り切る気がしないのだ。 
和歌に入り切るものとはどんなものなのだろう。
思い立って永井荷風の句集「荷風句集」を開いた。

春夏秋冬の季節ごとに句が並べられている。
春のはじまりは正月。冬の終わりは年越し。
春夏秋冬の順に並べられた歌集というのは少なくないが、この並びがわたしはとても好きだ。
1年の終わりを迎えて本を閉じて、次に開く時はまた春が来る。本の中で季節が巡る感覚がたまらない。

荷風というとそのユニークな人柄が印象的だが、句は素朴にして率直。純粋に季節の情景を読んだものが続く。   
最も秋には
人のもの 質におきたり 暮れの秋 
という情緒たっぷりの言葉「暮れの秋」でも中和しきれない強烈なエピソードがうかがえるものがあったりするのだが。   
夏の
散りてあと 悟る姿や 芥子の花
には言い表しがたい余韻のようなものがある。
芥子の花は1日花で翌日には散る。その姿が悟りを感じさせるのか。 
書かれていないことを読み取りたくなってしまう。

荷風の句集はまるで日記帳のような趣の1冊だった。次に俳句を読む機会があったら素朴な、今見ているその景色をそのまま、17音で表そうと思う。 
17音で切り取られた日常の中に、書かれていないわざわざ句にしたいと思った特別な思いを探すのが俳句ではなかろうか。
ヘッダーに使用した「よみさしの〜」は言わずもがな冬の句。こたつの中での読書は至福である。心からの共感を込めて、超私的荷風のベスト俳句としたい。

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