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Unforgettable!女子寮時代の忘れられない思い出

 20年以上前の寮生活の思い出である。

 以下のエピソードは多少の脚色はありますが、割とノンフィクションである。The following episodes are based on real life experiences of dormitory life. (Translated by DeepL)

 ICUには日本の(残念な)受験の仕組みによって入学してきた4月に入学する学生と、高校まで海外で過ごしていた9月に入学する9月生(ざっくりとしたわけかたでごめんなさい!)がいて、それぞれ「エイプリル」と「セプテン」と呼ばれていた。大学の外では誰も言わない内輪な言葉であるゆえ、イントネーションは独特である。

 寮では、半年おきにメンバーが入れ替わり、学年が変わると役割も変わってくる。入寮した人向けのイベント、退寮する人向けのイベントなど、いろんなイベントの対応をしなければいけないし、メンバーも定期的に入れ替わるので、あの頃の半年の経験というのは、今の残念なサラリーマンの生活に換算すると、数年分くらいに感じられるほど、濃厚な日々であった。どうでもいいことで真剣に悩み、不当にモテるICU男子に日々怒り、アイスを食べたり焼肉を食べたりして、大笑いしながら日々は過ぎた。

 ある日、割と短期間で、ご家族の事情で大学を辞めて海外で生活をすることになったため、退寮する先輩がいて、その方の送別会のようなもの(うちわな表現で、Kick outと呼ばれていた)が行われた。

 今の時代はキャンパス内での飲酒がかなり厳しく制限されていると聞いたので、あまりお酒は飲まないかと思われるが、20年前の寮では、割とみんな日常的にお酒を飲んでいた。なんとなく昭和の名残があったのと、20歳になる前でも、1年生でも、当たり前にお酒を飲む文化があって、やけに酒豪な先輩方がいた。

 そうはいっても、ほとんどの人は普段、真面目に課題などしており、酒豪なわけではなかったので、そんなに毎晩呑んだりしているわけではなかった。しかし、その時退寮する先輩は、お酒がかなり好きな人であった。彼女もかなり大人っぽく、20代前半だったとは信じられないほどに大人びていて、往年のハリウッド映画の中でしか見かけないような、派手な色のガウンを、風呂上がりによく着ていたのだった。さらにターバンのようにタオルを頭に巻きつけていて、やけにエキゾチックであった。なんというか、相当にスタイルが良くないと到底着こなせないような形状と派手な色のガウンであった。そして大変に美しい方なのだが、大変さばさばとしており笑いのセンスもあり、人気者だった。

 彼女もお酒が好きだったからか、当時のメンバーの雰囲気のせいか、寮の一室を使って行う送別会(=Kick Out Partyと呼ばれていた)では、珍しく、みんながお酒をすごくたくさん飲む雰囲気になっていった。

 私は当時、全くお酒が飲めなかったが、いつも強烈な色のガウンを着ている美しい先輩がいなくなるのは、とてもとても悲しく、そのKick out partyには参加していた(下戸枠)。

 基本的にみんな真面目な人ばかりだったので、そういったことはそれまで、ほとんどなかったのだが、かなり深夜まで飲み会が及び、退寮する先輩への悲しさが募り過ぎて、異様なまでにみんなが酒を飲み出した。ウォッカ(ロシア風に言えばウォトカ)をグイグイ飲む勢、みたいな人たちが一部現れ出したのである。

 そのうちに悪ノリが過ぎてきて、ある友人が、かなり大人っぽい先輩の首筋に塩を塗り、首を舐めて(!)塩をつまみにウォッカを飲むということをやり始めた。それがどんどん伝染していって、悪ノリが好きな5、6人の女性が輪になって、近隣の人の腕とか、背中とか、首筋に塩を少し塗ってそれをつまみにウォッカ(ロシア風にいうとウォトカ)を飲み出したのだった。

 その時の盛り上がりは異様なものがあって、私は当時、あまりにも幼かったので(今も入れないと思うが)その「塩を近隣の友人たちの肉体に塗って酒をぐいぐいと飲む女子たち」の輪の中には「入れない勢」としてシラフの状態でその様子を見ていたのだが、とにかく阿鼻叫喚というか、みんなバカバカしさと、変なエロさと、妙なカオス感に満ちてしまい、全員ひたすら大爆笑していて、間違いなく「トリップ」みたいな状態になっていた。

 途中から「なんか…これはヤバいのではないか」「あまりにも…エロ過ぎやしまいか」とシラフの状態でその様子を見ていたのだが、まあ、とにかく「エロ馬鹿馬鹿しい(©️エロかっこいいby羊水発言が問題になったことが懐かしい倖田來未)という感じの、大騒ぎではあった。深夜2時くらいの時間帯まで、みんなで飲んでいたのだと思う。次の日の授業のことは、誰も考えていなかったのだった。もしかすると、ちょうど試験なども終わって、休みに入る直前の時期だったのかもしれない。

 次の日の朝、1階のソーシャル・ルームに置かれたノート(後輩が始めたノートであった。インドの神様が描かれたノートだったため、神様ノートと呼ばれていて、何かみんなが思ったことをマジメに書き連ねるという、今思うと恥ずかしくてたまらないノート)に、後輩からの切実な文章が書かれているのを見た。
 
 彼女は元々ちょっとした物音でも目が覚めてしまうようなタイプだったのだが、昨晩の騒音はとても凄まじく、本当に耐え難かった、というようなことが、書いてあったのだ。とにかくびっしりと彼女の怒りがしたためられていた。

彼女が夜中にうるさいといって文句を言いにきて、その会が終了したのか、それとも、平和に終えたが次の日にノートによって彼女の怒りに気づいたのか、そのあたりの記憶は曖昧なのだが、流石に、あまりにも悪いことをしてしまった、というか、床を転げ回りたくなるような、戦慄するような申し訳なさを覚えた。

 申し訳なさを覚える一方で、私は疑問も感じていた。

なんでそんなに物音に敏感な人が、集団生活の寮を選択したのかね?
まぁ、寮費が安かったとか、大学に近かったからとか、地方出身で安心できる住居を親が勧めたとか、いろんな理由はあると思うけど。
そもそも、そんな人が集団生活をするの、おかしくね?と、私はちょっと冷めた気持ちで思った。まぁ、悪かったのは我々だったのだけど…。

その諍いも含め、私の地味目な人生を彩る最大級に印象的な出来事だったので、ここに記します。

以上です。

2024.5.25 加筆修正しました。

今更ながら、あの時みんなで飲みまくっていたのはウォッカじゃなくて、テキーラだったかも…。
当時はまったく飲めなくて、お酒の区別がつきませんでした…。

 
 
 

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