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カオカタチ1

 私は『書くことと私』について考える時間が長い。
 それを書き出してみたい。
 30分で書いた分だけ載せる。
 書き手としての自身の棚卸しの作業だ。
 それが『カオカタチ』の趣旨です。

目的

小説を書く、創作をする、ということに目的はあるのか?

今は、書くということそれ自体を目的にしているといえる。

noteで書き始めて5年も経つがその先を見つけられない。

ここにだけ書きたいものを書ける時書ける分だけ書いて載せる。その繰り返しだ。

読んでくれたり交流してくださる方がいるから、ある程度のペースを守って書けるはnoteをやっていてよかったと思うポイントだ。

文章がうまくなりたい。

これには目的がはっきりある。頭の中にあるイメージを、それにいちばん相応しい形で発現させたい。

これはつまり小説としての文章をうまく書きたいということだ。

小説の文章は文体と呼ばれる。[文体]をうまく書きたいです、というとおかしなニュアンスになる。不思議だ。

ニュース記事やブログに対して[文体]という言い方を聞かない。

[文体]がよくわからない。
作家の個性と言われても、癖みたいなものかと思われる。
最近読んだ何かに、[文体]は作家が苦心して練り上げた技だ、のようなことが書いてあった。
とすると、話芸のようなものだろうか?

文章がうまくなりたい私は、始めたばかりの頃noteの文章をジャンル問わず読みあさった。

玉石混合だったが、私がうまい文章と思うものには共通点があった。

無駄がない。

ラフに書いてあってもテーマから脱線しても、[必要があることだけ]書かれている。

次へ次へとうまく誘導するように書かれているもの、読み手を楽しみませようとするもの、熱量で圧倒するもの、それぞれ工夫が凝らされていて勉強になった。

その中で、でも頭にすーっと入ってくる文章は総じて無駄がなかった。

シンプルという意味でなく、書きたい芯の所をうっかりかすませてしまわないような書き方、と言ってもいいかな。

でも実際書いてみると難しい。

「てにをは」ですらいまだに確信がもてない。

[目的]によって文章(もしくは[文体]となるのか?)は変わってくる、という所まで話を続けたかったが、30分ではここまでだった。

いつか、[うまい文章]の先の[書きたい文章]について掘り下げたい。



///書いた日2024・9・16(日)蒸し暑い///

読んでくれてありがとうございます。