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『アフリカの海岸』/カオの本棚より

本好きがお気に入りの一冊をダシににじり寄ってくる"カオの本棚より"、2021年のスタートはこれ⇩⇩⇩”旅”を感じる一冊です!

「アフリカの海岸」ロドリゴ・レイローサ/杉山晃訳/現代企画室/2001年発行

「徘徊」と友人には言われるのですが、目的も無くひたすら歩く癖があります。散歩とかウォーキングと言ってほしいものですが、僕からはヘルシーさなんて1㎜も感じてもらえないので「徘徊」としましょう。
無目的の徘徊行為ですが、住宅街で知らないわき道を見つけて遊ぶ徘徊から、河川に沿って風をお供に歩き続けるとか、買い物先から数駅分徒歩で帰る、海辺を拾い物(ビーチコーミングという素敵な言い方もありますね。でも徘徊)しながらほっつき歩くとか、シチュエーションは多岐に渡ります。

本の話をしましょう。
「アフリカの海岸」の作家ロドリゴ・レイローサは1958年、中米グアテマラの生まれ。ラテンアメリカ文学に分類され、ポール・ボウルズに師事しています。(ちなみにポール・ボウルズは読んだことありません💧)
小説はモロッコの北部の都市タンジェが舞台です。
レイローサはボウルズに学んだタンジェの地を舞台に選んだのでしょうか。
小説には土地の香りが濃く漂います。
タンジェという街はかつてスペインの統治下にあり、街並みは名残りの白い建物が連なります。そこにモスクが建ち、小径が張り巡らされ、ヨーロッパとアフリカの交流中継地として多くの人が行き来する―――。惹かれるものを感じる土地です。


ボウルズを読まずに何故いきなりレイローサだったかと言うと、この本の表紙!
美しくて、ただの表紙というより一枚の絵として完成しています。
完成していながら、この絵の続きが本の中にあるんだよ、と手招いてくるようでした。
普通のハードカバーよりも縦長でスマートなんですね。アフリカ的原色にこのサイズ感を合わせるのがいい!
目次も、レイアウトがさりげなく良いし。
勘で買った本でしたが、内容も大当たりでした。

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イスラム教徒である羊飼いの少年と、コロンビアから来てパスポートを失くした男、そしてフクロウ。
タンジェの街を彷徨い歩く男と少年の運命の交差。
小説全体がくゆる煙のような異国情緒、白昼夢の浮遊感に包まれています。
それでいてどこか登場人物は乾いていて、不思議な手触りが残ります。

「旅は迷った時から始まる」。
誰が言ったのか何処で目にしたのか忘れてしまいましたが、こんな言葉を思い出しました。
この小説「アフリカの海岸」にぴったりではないでしょうか。
海外旅行が難しいものになって数か月ーーー。行けない代わりに、写真やドローンを駆使した映像で、魅惑的な観光地を”体験”することもできます。
気晴らしにはなりますが、第一に映像は綺麗すぎ、取捨選択されすぎ。
それよりも一つの写真も使われていない小説に、”旅”の感覚を呼び起こされたりするのです。

どこにも行きようのない男の焦燥とある種なげやりな態度が、迷宮的な雰囲気を濃くします。
知らない街をあてどなく歩く感じ。
そこからほんとうの”旅”は始まります。
そして土着的な存在である羊飼いの少年ハムサが、男の前に迷宮の壁となったとき、物語は読み手を知らない土地の迷い人に変えます。

徘徊を繰り返していると、僕はふととんでもなく遠い所へ来たのではと錯覚することがあります。
ほんとうは家から1キロも離れているかいないかなのに、小さな冒険に踏み込んだような心細いような、帰らなければいけないようなこのままずっと彷徨っていたいような、そんな感覚にとらわれます。
日常が自分の後ろに遠ざかっていく心地よさと、どことなく寂しい感じがない交ぜになる瞬間です。
「アフリカの海岸」には、この徘徊と共鳴する何かがあるのです。


さて、この小説をふわふわしたファンタジックな話だと誤解させてはいけないので補足です。
どんな筋かといえば、獣姦で始まり、フランス人のおねーさんにはリピドーが不発に終わり、合法か非合法か知りませんがキフなるものを吸ってる少年が叔父の犯罪の手伝いをする物語です。すごくいいです。

読んでくれてありがとうございます。