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神さまがいっぱい[雑文]

あなたは子どもの頃、夏休みの宿題をどんな感じでやっていましたか?
私は計画を立てて毎日コツコツやるタイプでした。が、夏休み最終日に何故か宿題が終わっていない!
……という怪奇現象に見舞われていました。
なんてことはない、計画の立て方がそもそも間違っているのです。
何が宿題だったのかよく把握しないまま自主勉強という名の脱線を繰り返します。
毎日決めた時間、コツコツ机に向かうことに満足していたら夏休みだけが終わっているのです。夏休みだけが………。

そんな人間が本を作ろうとすると、どうなるのかな?

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「推敲しているはずがスピンオフを書いていた」

これは怪奇現象ですね!

………いえ、あのぅ言い訳をさせて下さい。

『タマヨリヒメとワダツミ』(*noteに連載した長編。完結してますが書籍化目指して推敲中)というお話はタマヨリヒメとワダツミと言いつつもタマヨリヒメが8割主役の話だったんですよ。
ワダツミサイドを再考すると、彼の行動の裏付けというか説得力がないなぁと思いまして。
例えばなんであんなに残忍なのかとか、プライドと野心はあるのに無気力なのかとか、ちょっとキャラクターとして分かんない。
どうして竜宮の神様たちを毛嫌いしてるのかもなんとなくのエピソードしかない。
海彦の魂に抱きしめられてどうしてそれがワダツミの救済なのか深くは書いてない。
どれもこれもタマヨリの方にスポットを当てているから、なんですが。
本編に溶け込ませるよい方法がわからんーーー、でも裏打ちは必要なとこだと思う。

ワダツミとタマヨリの関係というのは一見すると複雑ですが、互いを補完する魂という点ではシンプルです。
複雑さ(とそこから生まれる対立や感情のもつれ)をどうそぎ落として最終的な関係を見せるか、というのが難しいのです。

〈お前が俺の宿命を完遂する/You complete my fate〉
〈天国が俺の中を遊歩する/The heavens stroll of me〉
〈俺たちが誰なのか明らかにする/Revealing who we are〉
〈お前は俺の居場所を再び満たす/You refill my place〉
〈来い そして俺を救え/Come and save me〉
〈あとは祝杯をあげよう/Drink the wine 〉

これはエルゴプラクシーという古いアニメのオープニングを意訳したものなんですが、サブスクで何気なく観た時から、ワダツミからタマヨリへの視線を歌っているような気がして仕方ないのです。
〈Come and save me〉というところが肝です。
この切実さを『タマヨリヒメとワダツミ』では十分書いてはいない、と。
(エルゴプラクシーは面白かったです。デストピア系がお好きな方はぜひ)

そんな流れでもう一回、ワダツミという人を掘り下げてくと、気がついたらスピンオフの方を書いていたわけです。
計画的脱線です。


加えて、あの長い連載を読んでくださった方はお分かりですが設定がゆるゆるなんです。
時代設定とか、場所設定、神さまの設定とかね、そこを再構築するために付け焼き刃の知識を焼き付け中です。
それを消化するために書いている、という面もあります。

しかし日本神話!神さまがいっぱい!
謎もいっぱい!矛盾もいっぱい!
私は記紀の解説や考察を見たり読んだりするのが楽しいのですが、答えが出ない中、あーだこーだと思い巡らすのが特に楽しいのです。

ワダツミの表記にしても綿津見神、大綿津見神、少童命、別名として海神、和多都美、底津綿津見、中津綿津見、上津綿津見(三つ合わせて綿津見三神)とたくさんあります。この違いはなんでしょうか?
そしてネームバリューに対して本人の活躍についてはほぼ記されておらず、豊玉姫と玉依姫の父親というのがポジションになっています。
そして海を治めるのはスサノオってことになっているんですよ。
なぜだー!

諸説ありますが、これはワダツミはもとはヤマト系ではない海洋民系の神であったという説を推したいですね。
記紀は氏族の歴史の暗喩です。当時のヤマト政権から見て祀りあげておきたくないものは書き替える、消す、無視する、という手段をとっていますね。
(ツクヨミなんて月の神さまでポジション的にかなり重要なはずなのに、書かれてないどころかお祀りしてる神社もほぼないという……消された?)
ワダツミについては消すに消せなかったのかとも思います。
ぐるっと海に囲まれた国でワダツの名を知らない人はいなくて、ヤマト系も航路開拓や交易に海洋民系の力は不可欠。
なんやかんやでヤマト系と海洋民系が融和してく中で、「お前らの神も記紀に書いといてやる」「でもいちばん偉い海の神様はおれらにゆかりの神様ね」ってことになったんじゃないかと、簡単に言うとね。
こうするとワダツミは自然神、すごく古い神、というのもしっくりくるような。
フィクション的にはワダツミは禁忌を犯したから実績や活躍は後世に残らなかった、というのが面白い。
その禁忌というのが『タマヨリヒメとワダツミ』では竜宮の衰退と滅亡に関わったってことなんだけど。


世界各地どこの神話もとても興味深い中で、日本の神様は名前がまず読めないし垢抜けないイメージでしたが知れば知るほど楽しいですね。
なにがよいかといえば八百万もいる! ってことではないでしょうか?
たくさんのキャラクターを生み出す文化。
これが古代からあったと思うと、現代のなんでもかんでも擬人化しちゃうのと変わらない気がします。
古代にもアンパンマンのやなせたかし先生(キャラクター登場数のギネス保持者だよ)みたいな人がいて、あれもこれも神様にしちゃってたんだとしたら、とても親しみが湧きます。

さて瀬織津姫という女神をご存知でしょうか?
この神さまは神事の祝詞の中にのみ出てくる神で、記紀等にはありません。
でも役割はとても重要で結構各地で信仰されています。
私は気づいてしまいました。
これは古代の人が創作したオリジナルキャラクターではないかと。
古事記日本書紀風土記が公式だとするなら、それに対して古代オタク人が
ファンの間での広めた言わば非公式の神さまが瀬織津姫ではないかと。
「こんな女神いたらよくない?」って古代オタク人が言い出して、「かわよ〜」「萌〜」みたいに賛同する人が現れて、ついには「瀬織津姫、チョー人気っぽいからうちの神社で祀るわ」「うちも、うちも」と各地に広まったのです。
その神秘性と清らかさとあと絶対美少女だという確信で、木花咲耶姫や豊玉・玉依姉妹に負けず劣らない、いまの姫ポジを獲得したのです。
そんな馬鹿なと思うでしょうが確かに馬鹿っぽいですね。
でもここはオタクいずる処の日本です。
オタクひとりの力は弱いけれど群れ集まると文化になります。そして脈々とDNAレベルで受け継がれてきて今があります。だから瀬織津姫が誰かの発案した美少女神であっても私は驚きません。

そして中にはどうしてそんなに………と思うほど中二病臭い名前の神さまもいます。
それが深淵之水夜礼花神です。ふかふちのみずやれはなのかみ、と読みます。
「深淵(しんえん)」と「夜」、さらに「水」と「礼」と「花」まで装備した意味深な名前です。しかも名前と系譜以外は謎といわれるとゾクゾクしますね。

そんなわけで次作のスピンオフには海神綿津見の他に、瀬織津姫と深淵之水夜礼花神にも登場してもらいます。
タイトルは『銀蛇謳海ーぎんだおうかいー』。
またしても読めないタイトルですが、日の目をみたあかつきにはどうぞよろしくお願いします。

イメージ画はこんな感じです
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謎だらけで神秘的で八百万のキャラクターをようする神さまの世界は私には2次創作の源泉です。
これからプロフィール欄を[日本神話の2次創作やってる人]に変えようかと思う次第です。


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アイウカオ
読んでくれてありがとうございます。