カオカタチ0[雑文]
少し前から『書く』ことについて書きたいと考えるようになった。
私は自分で作ったお話や詩をnoteに載せている。
私はアイウカオというユーザーネームで書いている。
私は『書くことと私』について考える時間が長い。
それを書き出してみたい。
でも少し躊躇する。
以前、「表現することにこんなに渇望しているんだ!」という熱い想いの内容で詩を書いたら、役者仲間(私は舞台俳優をしていた)に喝破された。
「そんな渇望は表現者はすべからく持っておる!そんな詩は凡庸以前で何も響かない!」
という内容だった。
私のガラスのハートはパリーンと気持ちよく割れたが、目が覚めた。
渇望はスタートラインに過ぎない。
でもそれなしでは何もできない。
躓くたびにスタートラインにも戻る。躓かなくてもなんとなくスタートラインを振り返る。
渇望は言い替えると原点。
原点はいつだって答えを内包している。
スタートラインこそがゴール。
でも『書くこと』にゴールはない。
締め切りはある。
と言いたいが締め切りもない。全部好き好んで首を突っ込んでいかないと締め切りさえ得られない。
アマチュアだから。
のような、取り止めないことを取り止めなく書きたい。
『書くことと私』はひとりよがりな内観の域を出ない。
頭ごなしに喝破してくる方はいないとしても、ちょっと呆れられたりするかもしれない。
躊躇する理由のひとつである。
それでも書きたいなら、人目につかない日記に書けばよい。
となるが、実は日記はすでに毎日書いている。
家庭菜園のキュウリが不作だとか仕事でムカつくことがあったとか何を買ったとか、そんなことで埋まっている。
日記は鈴村鈴之助(本名)のものでアイウカオのものではない。
アイウカオは存在しない人間だ。
物語という架空の話を書く人間はまた架空の存在だ。
存在しない物語が読者の目で存在可能なように、存在しない人間は他者の目に触れないと存在しない。
という理由を付けてみて、私はこれから気まぐれに書いていこうと思う。
アイウカオという人がどんな顔形であるのか、それは書くものによってしか現れない。
一連を『カオカタチ』というタイトルでくくってみた。
ルールは30分で書くこと。
書ききれなかったら次回以降に続けたり掘り下げたり追加修正する。
あんまり考えて書くと取り繕う方向にいってしまうから。
1回に1テーマ、という大袈裟なものではないが主軸は1本。ただし脱線はする。
ぐらいの気持ちだ。
気ままに………、気ままに…………。
読んでくれてありがとうございます。