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「置き場」第5号から気になった短歌+感想
「置き場」第5号に寄せられた連作から、それぞれ気になった一首を引きました。以下、敬称略で失礼します。
住み馴れたこの街を出てあの街へ書きにくくなる画数の区へ
AIの生成画像美少女の背筋の寒い笑顔が好きだ
三千円強でひと月牛乳が飲み放題になると妹
いつだってバックホームをできるように肩は作ってあるから言って
死ぬときはまだ先だけど死ぬ場所は現住所から遠くなさそう
様リアル丘と薬湯匂うよう鬼百合すくと香る有馬さ
(さまりあるおかとくすりゆにおうようおにゆりすくとかおるありまさ)
見逃してしまったドラマの最終回 視界の隅まで街灯がある
点と点とに立つ
今はわらわらを愛でる
遥かな子を温める
冷蔵庫水道水を冷やす場所チョコ溶けぬ様保存する場所
言語がひとつしかないのであれば あなたと僕は考えた洗濯したばかりのシャツを干しながら
遠ければ吠えて近づけば尾を振る内弁慶のレトリバー犬
水滴は硝子につきて垂れゐたり映る男のまなじりあたり
指差してはじめて浮きあがる時間その一点をやまぬ流水
遺書を書く私の腕を引くように駄々をこねてる おなかすいたね
惜しくなることを今から予感する 飛沫をあげて時間を使う
人の髪をたぶん一生切らないとおもうアニメの髪ゆれながら
ひとつづつ変えていくためパクチーを食べてみようと検討をして
ぬいぐるみの白い毛皮が本当に白く見えたわずかな時と場所
アルバムを通しで聴かなくなったよねそれぞれに好きな色に焼かれて
紫陽花のなかで生活していたら歯磨きも悪口も忘れた
太陽がみんな元気になってきた いやだな 衣装箪笥照らしだす
やがて海へ 名前ははじめにもらう歌 滅びは誤字でまみれた手紙
遠くから嫌いなやつが好きだった曲が流れる知らない駅に
海までの道がどんなに混んでてもいいよ、ぐらいに近かったふたり
シミュレーションした街並みを透過する虹彩そしてまっさらな骨
画用紙のしずかな匂い 車内には淡いオペラが流されていた
きょうはもうほころんでいい (革命は果たされないけれど) 夜の橋
散歩というネーミングセンス 永遠に血を散らさずに済むならそれで
きゅうりって味気ないからどうにでも化けるトリックスターなんだよ
あなたならどうしますかと言ったので石と一緒に寝そべりました
名前なんかほしくなかったいぬふぐり あの子みたいに呼ばれたかった
プリンアラってモードをロボットに付けたい、最後のシャットダウン機能に
あなたの名を書いてはじめて船になるそれまではただ光る封筒
いろあせた化石のようなひるぞらへ日傘のきえてゆくながいゆめ
Glocken 甘く冷たく歌いつつきみとどの暗がりへ行こうか
以上となります。取り上げた歌のいくつかについて感想を。
惜しくなることを今から予感する 飛沫をあげて時間を使う
まず上の句、「惜しくなる予感がする」等ではないところが良いなと思いました。「今から」が挟まることによって、この書き方でないと捉えられない感覚が捉えられている感じがします。下の句の解釈はいくつかありそうですが、(おそらくは水)飛沫に含まれる瞬間性が、惜しくなる何かのために使う時間を鮮やかに見せていて、書き方は淡々としていながら、切なさ、あるいは苦しみのようなものまで感じられます。
紫陽花のなかで生活していたら歯磨きも悪口も忘れた
紫陽花がどことなく持っている、不思議さ・奇妙さが掴まれている歌だととりました。忘れたもの二つがどちらも口に関係するものなのが面白く、紫陽花のなかではもしや口が機能しないのではないか、と思わされるような書きぶりです。しかも「生活していたら」なので、それなりの時間を主体は過ごせています(ここもどこか変です)。そうなると、この先主体は言葉などまで忘れてしまいそうで、怖さを感じつつも興味深く読みました。
海までの道がどんなに混んでてもいいよ、ぐらいに近かったふたり
前半のフレーズがシンプルに良いなと思いました。こう言われると確かに、海に行けるならどんなに道が混んでいても構わないな、という気持ちになります。ただ、そこから「ぐらいに」という直喩になる展開に立ち止まります。良い意味で意外で、こうくると「ふたり」の親密さや関係性が、(人混みや渋滞のイメージも重なって)より強い輪郭をもって立ち上がってくるように思いました。
あなたならどうしますかと言ったので石と一緒に寝そべりました
三句目、もし「言われたので」なら比較的意味が通るところを「言ったので」にしているところが好きでした。上の句の問いかけは心理テスト、あるいは思考実験的なものでしょうか。何にせよ、「あなた」の内面に(ともすれば強引に)踏み込もうとしているようにも見えます。なのに一転して、石と一緒に寝そべるという、全くの無害な方向に舵を切っているのが面白く、この主体の捉えられなさに惹かれるものがありました。
あなたの名を書いてはじめて船になるそれまではただ光る封筒
結句に来て、「あなた」へ送る手紙(と封筒)を船と喩えていることがわかる、という流れですが、この比喩も展開もすごく良いなと思いました。手紙が「あなた」に届くタイムラグというか、例えばLINEなどのメッセージとは違う速度はまさに船らしいですし、下の句の描写からは宛名を書く手元の光源まで想像が及びます。上手くは言えないのですが、二句の「はじめて」、結句の「光る」の置き方、全体的な韻律がかなり好きでした。
いろあせた化石のようなひるぞらへ日傘のきえてゆくながいゆめ
上の句の直喩、意外性がありつつも、とても美しい景だと感じます。「いろあせた化石」はどちらかというと雲それ自体を思わせますが、のちに日傘が出てくるためそれなりに晴れた空なのでしょう。そこが面白く、言われてみればこのような喪失感のある晴天はときおりある気がします。結句に向けて「きえてゆく」「ながいゆめ」とすべて失われるものへと収束していくところが、どこか終末を思わせ、しかし安らかな感慨のようなものを感じられました。
最後まで読んで下さりありがとうございます。誤字等あれば言っていただければと思います。
また、私は「逆さの現状」という連作で参加しているので、読んでいただけると嬉しいです。