社会ってさあ、

かっこいいを貫かせてくれ

無難な名前でラベリングされた僕はそれが命綱なのか手錠なのかわかりませんでした。手錠を命綱とか言ってかけてきたので僕は泣いてしまいました。

完全な自由を求めたら孤独になりかけました。

考えたことを言ったら孤独になりました。

周りの関係性を保つには何か犠牲がいるみたいです。身を削って孤独から逃れるのはなんだかダサい。そんなのいらない。僕が何か捨てなきゃいけないのは間違ってる、何も失わずに手放しに認められるべきだろう。そうでないならもっと小さい時にいっぱい褒められるべきだった。またはもう何もないか

それなら一人旅にでればいい。誰の目も気にしないで、間違えて割高で買っちゃった水を一気飲みしてみようか。

ただしそれは、何個もの課題を解決したあとで。

悲しい気分。常に自分を否定されている感じ。自分が自分であり続ける努力、この世界で正気を保つための努力の前にそこかしこの放り投げられたかわいそうな自分のかけら探しが先だ。

小学校の時の理不尽な担任を思い出す。その人はある日、クラスの少しやんちゃめな男子生徒の給食の乗った机をまさにちゃぶ台返しのようにひっくり返した。たぶん何か口答えでもしたのだろう。しかしほとんど手をつけていない給食をひっくり返されるに値することって小学生が先生に向かってするだろうか。分からない。全く分からない。ただ、社会はそんなもんだぞと、自分の行動はものすごく大きくなって返ってくるぞと、教えたかったのだろう。まとまるからいずれ大きくなって返ってくるんじゃない。なにもしていないけど、やらかした数だけ莫大なお釣りを投げつけられるんだ。深夜のコンビニ店員みたいなもんだ。

殺されて、謝りもしないで、さらになにをされるかと思えば歩け、歩け、歩幅を崩すな、今から別の刑務所に移動してもらう。と怒鳴られる。自由が欲しいと言ってみる。自由になったところでお前になにができるんだ、どうせ何もできないんだろう、なににも貢献せず無駄な存在が無駄に時間と時空を消費するんだと罵られ、縛られた現場がいかに安全かつ完全で、いかに良いことで、世界のためにもこの形の完全な存在が一番お前にとっていいことなんだと言われる。

この地獄が僕の今生きている世界じゃあないかと気づいた時にはもう遅くて、知恵遅れの僕は歪に尖った部分を削られて、小さく小さくなった。小さい僕は小さいまま汚いベッドに蹲って社会の居心地の悪さについて考える。抱きしめた枕は少し湿っぽくてシャンプーと自分だけが知っている自分の匂いがした。目元もなんだか湿っぽくなった。じめじめとした、6月の夜に、なにも思わない方が楽しいという偽の事実に背を向けて目を閉じる。不安、嫌な気持ち、全てに対する嫌悪感、そういうのに負けないように息を吸い込んだら肺の天辺がキリキリと痛む。痛いのか、そうか痛いのか。胸が痛い。

もうなにもできない夜。

1日の終了という事実。今日という日の告別式。

さようなら、さようなら。また今日も1日は終わりました。終わったのです。彼はもう2度と返ってこないのです。お別れを。永遠にさようならを。それで明日がやってきます。仲良くしなきゃいけない転校生。毎日毎日死んでいく転校生たち。永遠に誰とも友達になれないまま、亡骸だけが積み上がる。今日は誰だ、明日は誰だ、あいつはどこ行った、最後に会ったのいつだっけ、なんだっけ、なんだったんだっけ、あれ、ここはどこだっけ、なんで、なんでここにいるんだっけ。

本質を悟られまいとこの世界は常に僕の周りをニコニコしながら回り続ける。月の公転のように、同じ向きで、同じ見た目で。

本質は知ってはいけないもの、探ることはタブーとされていると思う。感情の上澄を浅くすくいとっただけの詩は良く売れ、差し障りのない自己紹介は人の注目をひく。根を見てはいけない。根を見せてはいけないとされている。ヤるまで足は閉じていろという割にはすぐに開かせたがるし自分がイったらそれで終わり。なんだってそうだ。全部そうなんだ。誰も僕の目的には耳を貸さない。どうでもいい、うまくいこうがいくまいがどうだっていい。そんなに冷酷でいいのなら、そうしてみようとしたらなんだかわからないけど、つまらない人だと言われて、最低な人だと言われて、周りに人はいなくなりました、さようなら。

このまま生きていくしかない。どんなに嫌でも、地獄の時間を謳歌しなくてはならない。だから本来はあけっぴろげに楽観視すべきであるんだろうが、もう肯定できるところが見つからない。見つからないけど身動きは取れない。部屋の床板の木目を覚えてしまったように。

残された道は夢のみだ。それだけ。

だから、もう少しおやすみなさい。

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