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愛と感謝とお金

最近のこと

社会人1年目、小学校1年生〜5年生くらいの子どもたちと毎日のように関わるようになり、今日も、感情をぐっちゃぐちゃに掻き回されてます。
ここで叱るのは、自分のエゴなのか、それとも愛なのか。逆に、ここで何も言わなかったら、この子にどんな影響があるのか、なんて、正解もわからない、そもそも正解なんてないのかもしれない中で、ひたすら自問自答して、悩んだり、反省したり、いろんな感情が湧き上がって、またその感情ひとつひとつと向き合う。こんな貴重な経験を毎日のようにさせてもらってる。
子どもってほんとすごいなあと実感するばかりです。

子どもとはいえ、ひとりの人間。親御さんから預かる立場であり、また、対等に育ち合って生きていく仲間である彼らとどう向き合っていくかは、この仕事に関わらせてもらう中で、ずっとずっとわたし自身の課題なのだと思います。
しかし、課題という言葉が全然しっくり来ないほどに、日々子どもたちから学ばせてもらい、自分を振り返るきっかけをもらっていることには感謝しかありません。

誕生日プレゼント

「お誕生日おめでとう!」友だち同士で誕生日をお祝いする声が微笑ましくって、放課後利用する児童のお誕生日はこちらもなんだか嬉しい日になります。

わたしが関わらせてもらっている学童からもささやかなプレゼントを渡すのですが、そこに入れるメッセージカードは、スタッフみんなからの愛がいっぱいこもったイラストと文字。「野球好きだからバットの絵を描いたら喜ぶかな〜」「最近勉強頑張ってるな〜」「素敵な一年を過ごしてほしいね」と、一人ひとりのことを想っているのは、まだ描き終わっていない時からでも伝わってくるほど。

感情はお金で図れるものか

お友だち同士でも、プレゼントを用意してきたりもします。
きっと、選ぶときから、その子の喜ぶ姿を想像して、たくさん考えて選んだんだろうなと思うと、素敵だなあと思う反面、少しだけ、もやもやが残るエピソードがありました。

渡す側の、「2000円で買ったやつなんだよ」という言葉。プレゼントをもらう側の、「これいくらだった?」という言葉。
そして、誕生日だということを知らなかった、と、自分が持っていたシールをその子なりにプレゼントした子に対する「明日別の買ってきなよ」という言葉。

誕生日って、こんなだっけなーと、このエピソードに少しのもやもやと、自分の中で考えさせられる時間がありました。

giveしたいという愛
嬉しいという感謝

この純粋で綺麗な気持ちと喜びが、いつの間にかお金で図られるものに変わっていってしまっているのではないでしょうか。

お金が悪だと言いたいわけではなくて、安くても良いと言いたいわけでもなくて、
ただ、ありきたりな言葉かもしれないけど、気持ちが大事なんじゃないかなーと思うのです。
高いブランド物よりも、相手のために与えたいと思う気持ちが何よりも美しいと思うんです。

かといって、高いものをもらった方が嬉しいという人もいるし、愛が全てじゃないこともある。きっとどちらが良いとかの正解は無いけど、
自分の心からの感謝と愛は忘れたくないと思う。そして、今のわたしの中の答えは、愛や感謝はお金で図ることはできないのです。

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