ぼっち・ざ・ろっくの映画観てきたのだけど……。
※せっかく映画が公開したばかりなのに、水を差すようなコメントをしてしまい、非常に申し訳ないと思うので不快に感じたらブラウザバックしてください。
『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:』が公開されたということで、初日に観て来ました。初日ということもあってお客さんはほぼ満員でしたが、迷惑なお客さん(音を立てる・話すなど)は全くおらず、快適に観ることが出来ました。
私は主人公のぼっちちゃんこと、後藤ひとりちゃんのことが今までずっと好きだなって思っていたのですが、もしかしたら、そうでは無いかもしれないという風に思ってしまったことが一番悲しかったです。
ぼっちでコミュ障だけど、ギターが弾ける後藤ひとりちゃんはかっこいい。喜多ちゃんじゃなくても、そう思うと思います。
総集編なので、短くするために若干キャラクターが話してるスピードがコンマ何秒か微妙に早く感じたりしました(これは気のせいかもしれないです)。ぼっちちゃんは、コミュ障であるという部分に終始話の内容をフォーカスし過ぎているように感じてしまって、観た後にお腹いっぱいだなと思ってしまいました。
ぼっち・ざ・ろっくから、ぼっちを取ったらただのロックになってしまうと思います。だから、ぼっちの部分は必要だと感じています。ですが、今回の総集編を観て、先程も同じようなことを書きましたが、要するにコミュ障だとかぼっちだという話がとにかく くどいというように感じてしまったのがなんか嫌だなって思ってしまったんです。
ぼっち・ざ・ろっく初見さんの書いた記事かな? という風に自分でも思ってしまいますが、私はそう思いました。前と自分の感性が変わってしまったのか、それともアニメ版が好きだったので劇場版が楽しめなかったのか、自分でもよくわかっていません。
『トラペジウム』の小説を読んだ時に前はイマイチだなと思ったはずなのに、映画を観たら面白いと感じたり、『恋は雨上がりのように』のアニメを観て前は印象に残らなかったのに改めて見返すとすごく良い作品だと思ったり、人間の感性なんてその時々で変わる、そんなものでしょうか。
アニメ・映画『恋は雨上がりのように』の個人的な感想の記事を近日中に書きたいと思っています。
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