幼児に 声かけられて 我を知る
老境自在(21)
「老いの苦離言」を改題
今日は少し早めに夕方の散歩に出た。いつもは、日中の暑さがいくらか和らぐ5時過ぎに家を出るのだが、3時過ぎから日差しを遮る雲が出てきたので、早目の散歩となった。この所、半袖ポロシャツに半パン、頭に麦わら帽子、顔にはサングラスとマスクがお決まりのスタイルだ。いかにも怪しげな格好に、妻は眉をひそめているが、暑さを凌ぐにはこれしかない。
いつもの散歩コースを歩いていると、向こうから小さな男の子がリュックを背負って一人で歩いてくる。こんな小さな子が一人で道に迷っているのではないかと心配になった。声を掛けた方がいいかなと思いつつ近づいていくと、男の子がこちらに声を掛けてきた。腰をかがめて聞くと、「もうすぐ雨が降るよ」と言った。一瞬戸惑ったが「雨がふるんだね、ありがとう」と答えた。すると、その子は安心したような顔をして、スタスタと立ち去った。
小学一年生の孫と同じくらいの年齢だろうか。変な格好をして歩いている人に声をかけるのは怖くなかったのだろうか。雨が降るとの情報をどこで得たのだろか。そんなことを考えながら歩いていると、雨がポツポツと落ちてきた。「おじいさんが、雨に濡れて風邪をひくとかわいそう」と心配になり、勇気を振り絞って注意してくれたのかもしれない。子供には、頼り無げな“おじいさん“に見えているのだ。「迷子ではないかと心配した自分が、逆に心配されていた」と考えると、なんだかおかしくなって、クスクス笑いながら散歩を続けた。
数年前から、バスや電車で若者が席を譲ってくれることが増え、自分が思っている以上に年寄りに見えていることには気づかされていた。コロナ下で内にこもり、外の空気に晒されることが減ったせいで、自分が他人からどう見られているかなんて忘れていた。今日は、小さな男の子に声をかけられて、久しぶりに”おじいさん”であることを認識させられた。
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