天国へ 往って還った ヨッパライ
東京の西、中央線の吉祥寺駅の近くにあるミニシアター"Uplink"から、週に1回上映作品の紹介メールが入る。先週のメール、『トノバン 音楽家加藤和彦とその時代』を見た途端に、ザ・フォーク・クルセーダースの『帰ってきたヨッパライ』の1節、
♫おらは 死んじまっただ
天国へ行っただ
天国良いとこ一度はおいで♫
を口ずさんでいた。
今から55年前、会社に入り最初に赴任した街には、バーが無数に立ち並ぶ飲屋街があり、別名「飲み倒れの街」と呼ばれていた。寮生活だったこともあって、毎晩バー通い、有線から流れてくるこの曲を聴きながら、
♫酒はうまいし
ねーちゃんはきれいだ
ウーウーワッワー♫
と、やっていた。
次の週の平日の朝、『トノバン』を観るため、家からバスで40分、吉祥寺の"Uplink"に。98席の内、2/3程度が埋まっている。大半が加藤和彦と同世代の高齢者。同世代でも加藤への思い入れには開きがある。加藤=フォークルと思っていたのは自分だけだったかもしれない。
2時間の映画のテイマ曲のように繰り返し流される、『あの素晴しい愛をもう一度』は聴いたことがある程度。『帰ってきたヨッパライ』が流れた時だけは、「これこれ」と思ったが、サディスティック・ミカ・バンドの曲、安井かずみの作詞による曲は、聴いても「これなに」。加藤はフォークル後の活躍の方が華々しかったのだと知る。他の観客は、どの曲にも思い入れがあり、映画の間中「これこれ」と思い続けていたに違いない。
『戦争を知らない子どもたち』が聴けるだろうと思っていたが、ついに流れなかった。後で調べて、この曲は作詞:北山修、作曲:杉田二郎で、加藤とは関係ないことを知った。
♫戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った♫
加藤は死んだが北山は今も健在。北山はフォークル解散後に医学の道に進み精神科医に、多くの本を著している。どれか1冊、読んでみよう。「天国」への道標を謳っているかもしれないから。
(2024.06.29)
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